日本大百科全書(ニッポニカ) 「ザンジュの乱」の意味・わかりやすい解説
ザンジュの乱
ざんじゅのらん
イスラム初期の時代に、イラク南部で起きた黒人奴隷を中心とする反乱。東アフリカ沿岸出身の黒人(ザンジュzanj)は、イラク南部で地表の硝酸塩を除去する耕地造成に過酷に使役されていた。ウマイヤ朝のとき総督ハッジャージュ(661ころ―714)に対し、ザンジュのライオンと称したリヤーフ指導下の反乱が起きた。またアッバース朝時代には、テヘラン近くのライ出身のアラブでかつて宮廷に仕えていたアリー・イブン・ムハンマドは、第4代カリフ、アリーの子孫と称し、864年バフライン(現ハサ)で商人やアラブ遊牧民を味方に、868年にはバスラ市内で市民に支持を訴えて挙兵したが政府軍に倒された。ついでザンジュなど黒人奴隷を味方につけ、バスラの一部有力者の協力も得て869年挙兵し、バスラを占領し、近くのムフターラに都を建て、政府軍やサッファール朝と戦って、一時アフワーズやワーシトを奪い、国家体制も整えた。しかし、883年カリフの弟ムワッファクの軍は2年の攻撃後ムフターラを陥れ、アリーは服毒自殺したらしい。
[余部福三]