翻訳|Jacob
古代イスラエルの族長の一人(《創世記》25~36ほか)。〈ヤコブ物語〉の形成過程でイサクの子とされ,またイスラエル12部族の名祖(なおや)であるユダ,ヨセフ,ベニヤミンなど12人の息子と娘ディナの父。民族の名祖として,イスラエルIsraelとも呼ばれた。
ヤコブ伝承は中部パレスティナおよび東方を舞台として,多彩な物語的展開を示している。ヤコブは双生児の兄エサウの空腹につけ込んで一杯の煮豆と引替えに長子権を手放させ,また眼のかすんだ父をだまして,長子エサウに与えられるはずの祝福を奪い,彼の報復を逃れて母方の親族アラム人ラバンのもとに身を寄せるが,両者の間でかけひきとだまし合いがなされた。東方への逃避と帰還の途路,ベテルなど各地の聖所で神顕現を体験した。晩年ヨセフを頼って子らとエジプトに下った。ヤコブは従順なアブラハムと対照的で他者と対立し,ずるくふるまうが,他面,神に必死にすがる姿が描かれ,現実的で魅力に富んでいる。
執筆者:並木 浩一
〈ヤコブ物語〉は,すでに初期キリスト教時代からローマ,サンタ・マリア・マッジョーレ教会のモザイク(4世紀前半)などに見ることができる。中世の聖書写本には数十場面のヤコブ伝連作が展開されたが,そのうち〈ヤコブを祝福するイサク〉〈ヤコブの夢〉〈天使とヤコブの格闘〉などの場面は単独でも繰り返し描かれた。近代では,ゴーギャンの《天使と闘うヤコブ》(1888)が知られ,シャガールも〈ヤコブ物語〉に題材をとった作品を多数描いている。
執筆者:浅野 和生
1世紀半ばのイエスの兄弟の一人で,初期エルサレム教会の指導者。イエスの存命中には母マリアと同様彼の宣教に対して無理解で批判的であった(《マルコによる福音書》3:21,31)が,教会の伝承はこのヤコブに復活のイエスは現れたとしており(パウロの《コリント人への第1の手紙》15:7),それを契機にして原始キリスト教団に加わったと思われる(《使徒行伝》1:14)。その後イエスの兄弟ということもあってか,教会の中心的指導者となり,ペテロがエルサレムを去った後(《使徒行伝》12:17)には,エルサレム教会の実権を握った。その信仰はユダヤ主義的で,パウロによって代表される異邦人伝道の強調とは意見を異にしていた。もっとも両者の関係はつねに非友好的であったわけではなく,パウロによるエルサレム教会への支援・献金はその友好のきずなであった。1世紀後半のユダヤ人歴史家ヨセフスや4世紀初めの教会史家エウセビオスによれば,61か62年ころにユダヤ議会でユダヤ教の過激分子に訴えられて石打ちの刑に処せられたとされる。祝日は5月1日。
→ヤコブの手紙
執筆者:青野 太潮
エルサレム教会の指導者であったと考えられるため,美術作品では通常,司教の服をつけて表される。持物は殉教具の棍棒,砧(きぬた),ときには大ヤコブと混同されて巡礼杖など。十二使徒のひとりとしても登場し,子どもの姿で〈聖家族〉とともに表されることもある。伝説に由来して,エルサレムの神殿の屋根あるいは祭壇から突き落とされるところ,殉教などの場面も描かれる。
執筆者:井手 木実
十二使徒の一人で,ゼベダイの子,福音書記者ヨハネの兄弟。〈大ヤコブ〉〈年長のヤコブ〉ともいう。44年ころ,ヘロデ・アグリッパの迫害によりパレスティナで殉教(《使徒行伝》12:2)。スペインに伝道し,数々の奇跡を起こしたとの伝説がある。9世紀初頭に遺骨が発見されたというスペインのサンチアゴ・デ・コンポステラ(サンチアゴは,スペイン語で〈聖ヤコブ〉の意)は,今日なお巡礼地として名高い。同地は中世には,帽子などにホタテガイの殻をつけた巡礼が西欧各地から集まり,キリスト教三大巡礼地の一つとして栄えた(なお,今日でもフランス語でホタテガイをcoquille Saint-Jacques(聖ヤコブの貝)と呼ぶ)。ヤコブはイスラム勢力と戦うキリスト教徒を守護すると信じられ,崇敬された。スペイン,巡礼,交易,農耕などの守護聖人。美術表現においては,十字架,殉教具の剣などを持つ使徒の姿か,貝殻のついた帽子をかぶり,ひょうたん,革袋,杖などを持つ巡礼の姿をとる。スペインの守護聖人としては,旗を持って白馬にまたがる騎士の姿でも表され,聖書や伝説に基づく場面も多く描かれる。祝日は西方で7月25日,東方で4月30日。
→サンチアゴ・デ・コンポステラ
執筆者:井手 木実
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古代イスラエルの族長の1人。『旧約聖書』のうち主として「創世記」25章26節~49章33節において、ヤコブの生涯が語られる。彼は、イサクとリベカの間に生まれた双生児の一人で、手で兄エサウのかかとをつかんで生まれ出たことにちなみ、その意味を指示するヘブライ語動詞「ヤコブ」と命名された(25章24節)。しかし父は兄を、母は弟ヤコブを偏愛した(25章28節)。そしてついにヤコブは、兄を押しのけ、その名のとおり長子権をつかんだ(25章31~33節、27章5~40節)。しかしこのために、兄の報復を避け、彼は長い旅に出ることになった(27章10節~33章20節)。そしてヤコブはこの旅において鍛え直され、ついに全イスラエル12部族の祖となったといわれる。
[定形日佐雄]
イエスの弟子である大ヤコブと区別され、通常小ヤコブとよばれる。『新約聖書』によれば、彼はイエスの兄弟であり(「マタイ伝福音(ふくいん)書」13章55節)、のちに「主の兄弟」とよばれた(「ガラテヤ書」1章19節)。彼は、母や他の兄弟たちと同様、イエスが神的霊力を有することを疑っていたが(「マルコ伝福音書」3章21、31、32節)、復活のイエスに会ってからイエスを主と仰ぐようになった(「使徒行伝(ぎょうでん)」1章14節、「コリント書―第一の手紙」9章5節、15章7節)。1世紀のユダヤの歴史家ヨセフスによれば、彼は紀元62年のユダヤ人暴動の際に殉教した。
[定形日佐雄]
イエスの十二使徒の1人。通常大ヤコブとよばれ、『新約聖書』の主として「共観福音(ふくいん)書」が彼の生涯を断片的に伝える。彼はゼベダイの子で、父とともにガリラヤの漁夫であったが、イエスに召され、シモン(ペテロ)、アンデレ、ヨハネとともに最初の弟子となった(「マタイ伝福音書」4章21、22節、「マルコ伝福音書」1章16~20節)。彼とヨハネは激情的な性格のゆえにか(「ルカ伝福音書」9章54節)、「雷の子」というあだ名を得た。のちにヘロデ・アグリッパ王の迫害によって殉教した(「使徒行伝(ぎょうでん)」12章2節)。
[定形日佐雄]
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…出現の場所と時期から考えて,母神とマリアの同一視の公算はきわめて大きい。またアステカの軍神ウィチロポチトリは聖ヤコブ(サンチアゴ)の故事にちなんで同一視された。グアテマラのマヤ・インディオの居住するチチカステナンゴの町のサント・トマス教会では,公然とマヤ古来の宗教行事が教会の内外で行われている。…
…遊牧民アブラハムは,のちにイスラエルの神になったヤハウェから,彼の子孫にカナンの地を与えると約束された(〈アブラハム契約〉)。アブラハム,イサク,ヤコブの3代は族長と呼ばれる民族草創の父祖であるが,ヤコブを民族の直接の先祖とする伝承により,ヤコブの別名はイスラエル,その12人の子らはイスラエル12部族の名祖であったと説明される。 ヤコブ一族のヘブライ人は,飢饉を逃れてエジプトへ移住したが,やがてエジプト人の奴隷となって苦役に服した。…
…族長イサクの長子。旧約聖書の《創世記》によれば,双子の一人としてヤコブに一歩先んじて生まれた。弟のヤコブとの抗争は母リベカの胎内から始まり,生涯に及ぶ。…
…仏を人間に似せた仏教は釈迦三十二相の中に毛孔生青色相と身毛上靡相(じようびそう)を強調する。イサクの次男ヤコブは父を欺いて毛深い兄エサウの代りに祝福を受け,兄の怒りをかった。死の床にあったイサクが子ヤギの皮を手に巻いたヤコブをエサウの手と勘違いしたためで,毛が仲たがいの原因だった。…
…この契約に基づき,カナンは〈選民〉ユダヤ民族の〈約束の地〉になった。族長アブラハムの孫ヤコブは,別名をイスラエルと称し,のちに12部族の名祖となった12人の子らの父であったが,飢饉を逃れてエジプトへ移住した。その子孫がエジプト人の奴隷にされて苦役に服したときに,族長の神と名のる主の顕現を受けたモーセが,彼らを率いてエジプトを脱出した。…
…ロマネスク様式の大聖堂をはじめ,36の修道院と46の教会があり,16世紀に創立された大学もある。サンチアゴはキリストの十二使徒の中の大ヤコブのスペイン語名。そしてコンポステラは一般にはラテン語campus stellae(星の原),また一説にはcompositum(墓場)に由来するといわれるが,はっきりしたことは不明。…
…しかしパウロの《コリント人への第1の手紙》15章5節以下が示している最初期の宣教の要約は,実際にはイスカリオテのユダを欠いて十一人となっていたはずの弟子グループをそのまま〈十二人〉と表示することによって,それがすでにきわめて早い時期に固定化されたひとつのまとまりを意味していたことを暗示していることは注目すべきである。使徒たることの条件は,イエスの復活顕現の証人であることであったと思われるが,上掲の宣教の要約はその証人として〈十二人〉〈五百人以上の兄弟たち〉そして〈ヤコブおよびすべての使徒たち〉に言及している(15:5~7)。しかし《ルカによる福音書》の著者は使徒を十二弟子に限定しており,さらに同著者による《使徒行伝》は伝承にさかのぼる二ヵ所(14:4,14)を除いては,パウロをも使徒とは呼ぼうとしていない。…
…ローマ巡礼は9,10,11世紀,および50年ごとに聖年が宣布されるようになった14,15世紀の2度にわたって極盛期を経験した。9世紀,サンチアゴ・デ・コンポステラで使徒大ヤコブの墓所が発見されたという報知は,ヤコブのスペイン伝道の伝説とともに西欧に流布した。ただちに巡礼者が集まり始め,とくに12世紀以降,巨大な霊場となった。…
…父の名はゼベダイZebedeeといい,ガリラヤの出身。福音書の伝えるところによると,兄弟ヤコブとともに父の家業であった漁師をしていたところをイエスによって見いだされ,弟子とされたという(《マルコによる福音書》1:19~20)。〈十二弟子〉の名前のリスト(同3:16~19)では筆頭弟子のシモン・ペテロのすぐ後に挙げられ,兄弟ヤコブとともに,〈ボアネルゲBoanerges〉(〈雷の子〉の意)という別称を与えられている。…
…新約聖書中《公同書簡》と呼ばれる手紙の一つ。著者はみずからをヤコブと称しており(1:1),そこからイエスの弟ヤコブの手紙とする説もあるが,大多数の学者はそれを否定する。おそらく1世紀末~2世紀初めに1人のユダヤ人キリスト者によって書かれたものと思われる。…
※「ヤコブ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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