シュパイヤー(英語表記)Speyer

デジタル大辞泉 「シュパイヤー」の意味・読み・例文・類語

シュパイヤー(Speyer)

シュパイエル

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「シュパイヤー」の意味・わかりやすい解説

シュパイヤー
Speyer

ドイツ西部,ライン川中流左岸にあるラインラント・ファルツ州の小都市。人口4万7000(1991)。ローマ・カトリック司教座の所在地。第2次世界大戦後,金属・化学繊維・ガラス・食品工業なども発達したが,むしろ歴史的古都として有名。

 この地は,すでに150年ころ,ノウィオマグスNoviomagusという名でプトレマイオスが言及している。古くはケルト人の集落,次いで前70年以来ネメテース族が占めていたこの地域を,前56年カエサルが征服,以後ノウィオマグスがローマのキウィタス・ネメトゥムの中心となった。496年フランク族がこの地を占領し,6世紀に初めてスピラSpira(地名シュパイヤーの由来)と名づけられ,遅くとも614年までに司教座に昇格,以後つねに都市と呼ばれている。シュトラスブルクストラスブール)からマインツへ通じる街道がライン川と交差する渡河点という有利な位置のゆえに,重要な商業都市となった。船舶往来も活発で,バルト海地方にまでおよぶ商品取引(塩,ブドウ酒,ピッチなど)を中継した。969年神聖ローマ皇帝オットー1世の特権付与で,司教が唯一の都市領主となり,7世紀以来続いた司教の影響力はますます強大となった。しかし,経済力を蓄えた市民の反抗増大,1111年にはハインリヒ5世から身分上・裁判上の諸特権を獲得,都市シュパイヤーは1294年には司教の支配から解放され,帝国自由都市へと発展した。多くの宮廷会議や帝国議会の舞台となったが,1529年の議会(シュパイヤー国会)はルター派信仰の禁圧を決議し,新教諸侯の抗議(プロテスト)を惹起したことで有名である。17世紀後半にはファルツ継承戦争のなかでフランス軍に蹂躙されたが,1816年バイエルンに帰属,1945年までラインラント・ファルツ地区政府の所在地となった。

 聖母マリアと聖シュテファンにささげられたロマネスクの大聖堂(シュパイヤー大聖堂Speyerer Dom)は,ライン河畔における皇帝の三大聖堂の一つとして有名。1030年神聖ローマ皇帝コンラート2世のときに建築開始,61年献堂,82年ハインリヒ4世が増改築を再開して1106年に完成。のち焼失・破壊・修復を繰り返したが,1957-72年の再建工事によって本来ロマネスク様式面影が再現された。
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