シーリー(読み)しーりー(英語表記)Harry Govier Seeley

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シーリー」の意味・わかりやすい解説

シーリー(Harry Govier Seeley)
しーりー
Harry Govier Seeley
(1839―1909)

イギリス古生物学者。ケンブリッジ大学を卒業し、ロンドン大学のキングズ・カレッジの教授を務めた。翼竜恐竜哺乳(ほにゅう)類型爬虫(はちゅう)類に関する業績があり、とくに、1887年の恐竜の基本的分類を確立した論文は有名である。このなかで、一般に恐竜と名づけられる化石動物骨盤のタイプに基づき鳥盤目と竜盤目に分類し、かつ両者だけを一つにまとめるのは意味がないと述べた。

[小畠郁生]


シーリー(John Robert Seeley)
しーりー
John Robert Seeley
(1834―1895)

イギリスの歴史家ケンブリッジ大学卒業後、1869年、同大学の近代史欽定講座担当教授となり、生涯そこにとどまった。その学風は、歴史政治史、とくに国際政治外交史ととらえるところに特徴がある。主著に「ローマ帝国没落」、「ミルトン」等を収めた『講義・論文集』(1870)、彼の名を不朽にした83年出版の講義録『イギリス膨張史論』がある。同書は、名誉革命からナポレオン戦争に至るイギリス・フランス間の抗争を、植民地と商業の観点から簡潔かつ的確に描き、当時のイギリス国民の植民地獲得熱を高めるうえで大いに貢献した。晩年には、アイルランド自治に反対して自由党から分離した自由統一党に参加し、イギリス本国と植民地の紐帯(ちゅうたい)強化を図る帝国連合同盟とも密接な関係をもった。

[石井摩耶子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シーリー」の意味・わかりやすい解説

シーリー
Seeley, Sir John Robert

[生]1834.9.10. ロンドン
[没]1895.1.13. ケンブリッジ
イギリスの歴史学者。ケンブリッジ大学卒業。 1863年ロンドン大学ラテン語教授に就任。 65年人間としてのキリストを論じた『この人を見よ』 Ecce Homoを刊行,大きな反響,論争を引起した。 69年ケンブリッジ大学近代史教授に就任,終生在職。 94年ナイト爵に叙せられた。『シュタインの生涯と時代』 The Life and Times of Stein (1878) ,『イギリス膨張史』 The Expansion of England (83) はケンブリッジでの講義をまとめたもので,死後さらに『イギリスの国策の発展』 The Growth of British Policy (95) ,『政治学講義』 Lectures on Political Science (95) が公刊された。

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改訂新版 世界大百科事典 「シーリー」の意味・わかりやすい解説

シーリー
John Robert Seeley
生没年:1834-95

イギリスの歴史家。ケンブリッジ大学に学び,ロンドン大学ラテン語教授を経て,1869年ケンブリッジ大学近代史欽定講座教授に就任,死去するまでの四半世紀間この講座を担当した。〈歴史は過去の政治にして,政治は現在の歴史なり〉とする立場をとり,主著《イギリス膨張史論》(1883)は,イギリスの帝国への発展過程を因果連関から分析したものとして,折からの帝国主義的風潮に乗じて広く歓迎された。
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百科事典マイペディア 「シーリー」の意味・わかりやすい解説

シーリー

英国の歴史家。1869年―1895年ケンブリッジ大学近代史教授。主著《英国膨張史論》は,英国の発展過程を鋭く分析したもので,帝国主義の時流に乗って歓迎された。

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