ジェリコー(英語表記)Théodore Géricault

デジタル大辞泉 「ジェリコー」の意味・読み・例文・類語

ジェリコー(Jean Théodore Géricault)

[1791~1824]フランス画家。冷徹な観察に基づく劇的表現により、フランスロマン主義の端緒を開いた。作「メデューズ号のいかだ」「エプソムの競馬」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ジェリコー」の意味・読み・例文・類語

ジェリコー

  1. ( Jean Théodore Géricault ジャン=テオドール━ ) フランスの画家。強い色彩効果と劇的表現によってロマン主義様式を創始した。馬の作品が多い。代表作「メデューズ号のいかだ」。(一七九一‐一八二四

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改訂新版 世界大百科事典 「ジェリコー」の意味・わかりやすい解説

ジェリコー
Théodore Géricault
生没年:1791-1824

フランスのロマン主義の画家。豊かな商人の息子としてルーアンに生まれ,少年時代にパリに移って,ベルネCarle Vernet,次いでゲランGuérinのアトリエで学ぶ。少年時代よりベルサイユ宮殿の厩舎などに通って馬と親しみ,1812年のサロン(官展)で金賞を得た《武装した猟騎兵将校》においては人馬一体となったみごとな躍動感で人々を魅了する。16年から17年の秋にかけてイタリアに旅行し,ミケランジェロから深い感銘を受ける。パリに戻ってからは,文学的ロマン主義にあきたらず,同時代の事件を主題にとった《メデューズ号の筏》(1817)で,当時世間を騒がせた難破船の悲劇を描き,ドラマティックな構成と死体の写実的表現力で一躍有名になった。20年から21年にかけて2年近くイギリスで過ごし,コンスタブルやボニントンの作品の,直接的な自然表現の影響を受ける。馬の好きな彼は,《エプソムの競馬》(1821)においては,スピード感にあふれる表現とともに,近代スポーツの風俗をも描く。帰国してからは,狂人など社会の異端者の肖像画や,死体安置所での死体の断片に関心を抱き,鋭い写実的表現力を示した。しかしこれらの探究は,33歳という若さで落馬事故で死んだため,さらなる成果をあげるには至らなかった。彼の天才は,その直後世代には深く理解されなかったものの,写実主義誕生や,マネやドガらの競馬の主題に深くかかわっており,真に近代的な芸術の萌芽を見せていることでとりわけ意義深い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジェリコー」の意味・わかりやすい解説

ジェリコー
じぇりこー
Jean Louis Théodore Géricault
(1791―1824)

フランスの画家。夭折(ようせつ)ではあったが傑出した才能を示し、とくにロマン派絵画の烽火(ほうか)となった『メデューズ号の筏(いかだ)』で名高い。ルーアンに生まれる。カルル・ベルネCarle Vernet(1758―1836)、ついでゲランPierre Guérin(1774―1833)の画室(ここにドラクロワも学んだ)に学ぶ。ダビッド風の古典主義の規範の一方で、少年期より馬に傾けた彼の熱情は、動きへの正確な観察へと駆り立てた。また、当時ローマのボルゲーゼ宮からもたらされた所蔵品などによって、ティツィアーノルーベンスの描法にも多くを学んでいる。その成果は、1812年のサロンへのデビュー作『突撃する近衛猟騎兵士官』(ルーブル美術館)となって現れ、金賞を得る。1816~1817年、ローマ、フィレンツェ遊学。ミケランジェロやバロック様式を学び、また他方でラファエッロをも学ぶ。帰国後は、文学的主題ではなく同時代の主題にバロック的、ロマン派的な情熱と大きさを与えることを求め、その成果が1819年のサロンへの『メデューズ号の筏』出品となる。彼は同時代の現実の悲劇、対角線構図、明暗の対照、病院で数多く試みた死体の素描に裏づけられた現実性などにより、一つのエポックをつくった。1820~1821年、ロンドンに滞在。落馬事故でパリに没した。

[中山公男]

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百科事典マイペディア 「ジェリコー」の意味・わかりやすい解説

ジェリコー

フランスのロマン主義の画家,版画家。ルアーン生れ。グロプリュードンルーベンスの影響を受け,動的な構図と激しい色彩の作品を手がける。また冷静・緻密(ちみつ)な観察眼により写実主義の先駆ともなった。動態,特に馬の走る姿に興味をもち,《エプソムの競馬》(1821年,ルーブル美術館蔵)など馬の作品が多い。自らも乗馬に没頭し,落馬がもとで夭逝した。石版画の発展にも貢献。現実に起こった海軍のフリゲート艦座礁事件を題材とした代表作《メデューズ号の筏(いかだ)》(1818年―1819年,同美術館蔵)はロマン主義の幕開けを告げるものとなった。
→関連項目ゲラン

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジェリコー」の意味・わかりやすい解説

ジェリコー
Géricault, (Jean-Louis-André) Théodore

[生]1791.9.26. ルーアン
[没]1824.1.26. パリ
フランスの画家。ロマン派絵画の創始者。 C.ベルネ,P.ゲランに古典主義的構図,人体表現を学んだが,A.グロ,ルーベンスの感化のもとに『戦う猟騎兵士官』 (1812,ルーブル美術館) ,『傷つける胸甲騎兵』 (14,同) をサロンに出品。しかしその激しい動静,重く沈んだ色彩は不評であった。 1816~17年フィレンツェに旅行し,ミケランジェロの作品を見て多大な影響を受け,帰国後,代表作『メデューズ号の筏』 (19,同) を発表。その劇的な情景の表現,自然主義的な細部描写はロマン派絵画の烽火となった。自然主義的写実は 20年にイギリスに渡って描いた『エプソムの競馬』 (21,同) など,馬を描いた作品に著しい。 (→ロマン主義美術 )  

ジェリコー
Jellicoe, John Rushworth, 1st Earl Jellicoe

[生]1859.12.5. サウサンプトン
[没]1935.11.20.
イギリスの海軍軍人。 1883年海軍大学校で砲術を専攻,優秀な砲科将校として知られた。 1900年の義和団事変では艦隊参謀長として戦い,重傷を負った。 10年大西洋艦隊司令官。 11年本国艦隊第2戦隊司令官。 14年に第1次世界大戦が始ると,本国艦隊の副司令長官に任じられたが,すぐに司令長官となった。翌年大将に昇進。 16年にはユトラント沖の海戦の指揮をとった。同年末,海軍本部委員長 (軍令部長) となったが,対潜水艦作戦が失敗した責任を問われて,17年に辞任。 18年に子爵,19年に元帥となり,20年にニュージーランド総督となった。 25年に伯爵。

ジェリコー
Jellicoe, (Patricia) Ann

[生]1927.7.15. ヨークシャー,ミドルズバラ
イギリスの劇作家,演出家。 1952年ロンドンにコックピット・シアターを創設,自作『狂った母さんの戯れ』 The Sport of My Mad Mother (1956) を演出し,『オブザーバー』紙の演劇賞を得た。ほかに"The Knack" (61) ,"Shelley" (65) などの戯曲がある。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ジェリコー」の解説

ジェリコー
Théodore Géricault

1791〜1824
フランスの画家
ドラクロワとともにロマン主義絵画の始祖といわれる。大胆なデッサンと色調ではげしい感情を表現。代表作「メデューズ号の筏 (いかだ) 」「石炭車」(石版画)。

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