フランスの画家。14歳からダビッドの門に入る。1793~1800年、イタリアに滞在。1796年、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌに会い、彼女の依頼によって『アルコレ橋頭のボナパルト』(ベルサイユ美術館)を描き、以後ナポレオンの画家として1804年のサロンに『ヤッファのペスト患者を見舞うナポレオン』(ルーブル美術館)、1806年『アブキールの戦い』(ベルサイユ美術館)、1808年『アイラウの戦い』(ルーブル美術館)などを出品した。ダビッドがもっとも寵愛(ちょうあい)した弟子であったが、その生彩に富んだ色彩、劇的なテーマの選択、オリエント情緒などの点で、先ロマン派的画家としての特質を明らかにする。1816年、アカデミー会員となる。しかし、ダビッドの亡命後、後事を託され、新古典主義的傾向を強めるが、本来の彼の性向を生かしきれず、私生活上の失敗もあって、セーヌ川に投身して生命を絶った。
[中山公男]
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フランスの画家。ミニアチュール画家の息子としてパリに生まれ,14歳にしてダビッドのアトリエに入る。1792年には《アンティオクスとエレアザール》の課題でローマ賞に挑戦するが,すでにルーベンスから影響を受けたバロック的激しさのため賞を取れない。その後イタリアに8年滞在しておもに肖像画を制作し,96年にナポレオンと出会い,《アルコール橋のナポレオン》で名声を高める。1801年に帰国し,ナポレオンの歴史画家として多くの戦争画を制作する。彼は本質的にロマン主義者であり,戦争における生と死のドラマ,アラブのエキゾティックな衣装やその激しい感情,ナポレオンの人間的側面などを描き出した。24年にパンテオンの天井画を描いた功によりシャルル10世から男爵を授かったが,その後古典主義様式への復帰を志して成功せず,セーヌ川に投身自殺した。
執筆者:馬渕 明子
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(内海孝)
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