グロ(読み)ぐろ(英語表記)Antoine Jean Gros

デジタル大辞泉 「グロ」の意味・読み・例文・類語

グロ

[名・形動]グロテスク」の略。「エログロ
[類語]異様おどろおどろしいグロテスク醜怪

グロ(Antoine Jean Gros)

[1771~1835]フランスの画家。ジャック=ダビッドに師事し、戦争画歴史画肖像画を制作。新古典主義の立場に立つが、ロマン派的傾向が強い。

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精選版 日本国語大辞典 「グロ」の意味・読み・例文・類語

グロ

  1. 〘 名詞 〙 ( 形動 ) ( 「グロテスク」の略 ) グロテスクなさま。また、その物や人。〔モダン用語辞典(1930)〕
    1. [初出の実例]「このグロなところいやが上に客をうならせてゐる」(出典:彼女とゴミ箱(1931)〈一瀬直行〉インチキ・レビュー、万歳、安来節、其の他)

グロ

  1. ( Antoine Jean Gros アントワーヌ=ジャン━ ) フランスの画家。ダビッドの弟子。ナポレオンの歴史画家として戦争画を多く描く。代表作は「アルコール橋のボナパルト」「エイローの戦い」など。(一七七一‐一八三五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「グロ」の意味・わかりやすい解説

グロ
ぐろ
Antoine Jean Gros
(1771―1835)

フランスの画家。14歳からダビッドの門に入る。1793~1800年、イタリアに滞在。1796年、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌに会い、彼女の依頼によって『アルコレ橋頭のボナパルト』(ベルサイユ美術館)を描き、以後ナポレオンの画家として1804年のサロンに『ヤッファのペスト患者を見舞うナポレオン』(ルーブル美術館)、1806年『アブキールの戦い』(ベルサイユ美術館)、1808年『アイラウの戦い』(ルーブル美術館)などを出品した。ダビッドがもっとも寵愛(ちょうあい)した弟子であったが、その生彩に富んだ色彩、劇的なテーマの選択、オリエント情緒などの点で、先ロマン派的画家としての特質を明らかにする。1816年、アカデミー会員となる。しかし、ダビッドの亡命後、後事を託され、新古典主義的傾向を強めるが、本来の彼の性向を生かしきれず、私生活上の失敗もあって、セーヌ川に投身して生命を絶った。

中山公男

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グロ」の意味・わかりやすい解説

グロ
Gros, Antoine-Jean, Baron

[生]1771.3.16. パリ
[没]1835.6.26. パリ
フランスの画家。1786~93年ジャック・ルイ・ダビッドのもとで修業。1793年から 7年間イタリアに滞在。この間ジョゼフィーヌを介してナポレオン1世に近づき,従軍画家となって『アルコル橋のナポレオン』 (1796,ベルサイユ宮殿国立美術館) などを制作。1801年パリに帰り,『ジャファのペスト患者を見舞うナポレオン』 (1804,ルーブル美術館) ,『アブキールの戦い』 (1806,ベルサイユ宮殿国立美術館) ,『アイラウの戦いのナポレオン』 (1808,ルーブル美術館。→アイラウの戦い) などをサロンに発表。また 1811年からパリのパンテオンドームに装飾画を描き,1824年に男爵位を与えられた。1815年以後ダビッドの画室を継いで門弟の指導にあたり,ロマン主義的作風を捨てて古典主義を標榜した。1835年に『ヘラクレスディオメデス』を描いたが評判が悪く,絶望してムードン付近のセーヌ川に身を投げた。

グロ
Gros, Jean Baptiste Louis, Baron

[生]1793.2.8.
[没]1870
フランスの外交官。男爵。漢名を格羅と書いた。フランス外務省に入り,スペイン,エジプト,メキシコなど各地在外公館に勤務。 1856年には,フランス=スペイン国境問題の交渉に全権としてあたる。翌年アロー戦争が起ると特命高等弁務官として清国におもむき,イギリス全権エルギン (伯)と協力して,清国軍を圧倒,58年 (清,咸豊8年) 天津条約を締結した。次いで日本に来航し,同年 (日本,安政5年) 江戸幕府通商条約,貿易章程を締結し,60年再び中国におもむき北京条約に調印した。 62年,駐英大使となる。著書に"Négotiations entre la France et la Chine en 1860" (1864) がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「グロ」の意味・わかりやすい解説

グロ
Antoine-Jean Gros
生没年:1771-1835

フランスの画家。ミニアチュール画家の息子としてパリに生まれ,14歳にしてダビッドのアトリエに入る。1792年には《アンティオクスとエレアザール》の課題でローマ賞に挑戦するが,すでにルーベンスから影響を受けたバロック的激しさのため賞を取れない。その後イタリアに8年滞在しておもに肖像画を制作し,96年にナポレオンと出会い,《アルコール橋のナポレオン》で名声を高める。1801年に帰国し,ナポレオンの歴史画家として多くの戦争画を制作する。彼は本質的にロマン主義者であり,戦争における生と死のドラマ,アラブのエキゾティックな衣装やその激しい感情,ナポレオンの人間的側面などを描き出した。24年にパンテオンの天井画を描いた功によりシャルル10世から男爵を授かったが,その後古典主義様式への復帰を志して成功せず,セーヌ川に投身自殺した。
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百科事典マイペディア 「グロ」の意味・わかりやすい解説

グロ

フランスの画家。パリ生れ。ダビッドの弟子で,ナポレオン時代の歴史画を代表する一人。《アルコル橋のボナパルト》(1796年,ルーブル美術館蔵)で最初の成功を収め,以後宮廷画家としてナポレオンの治績をたたえる作品を数多く描いた。新古典主義者であったが,色彩やダイナミックな動感にはすでにロマン主義的な性格も現れている。代表作はほかに《ヤッファのペスト患者を見舞うボナパルト》(1804年,ルーブル美術館蔵),《アイラウの戦場におけるナポレオン》(1808年,同美術館蔵)など。
→関連項目ジェリコー

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朝日日本歴史人物事典 「グロ」の解説

グロ

没年:1870.2.8(1870.2.8)
生年:1793.2.8
幕末のフランスの外交官。1823年フランス外務省に入り,ポルトガル,スペイン,エジプト,メキシコなど在外公館を経て,56年フランス・スペイン国境問題の交渉に当たる。57年,清国のアロー号事件に対処するため特派全権大使に任命され,イギリス使節J.ブルースと協力して天津条約を締結した(58年6月)。その直後の安政5年8月13日(9月19日),ラプラス号などを率いて品川沖に来航,9月3日(10月9日)最初の日仏条約である日仏修好通商条約を調印した。1862年4月,パリで幕府の遣欧使節と開市開港延期問題を協議し,駐英大使に就く。<参考文献>石井孝『日本開国史』

(内海孝)

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367日誕生日大事典 「グロ」の解説

グロ

生年月日:1793年2月8日
フランスの外交官
1870年没

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