日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジェンティーレ」の意味・わかりやすい解説
ジェンティーレ
じぇんてぃーれ
Giovanni Gentile
(1875―1944)
イタリアの哲学者。シチリアのカステルベトラーノに生まれる。ピサの高等師範学校でヘーゲル哲学を学び、パレルモ、ピサ、ローマなどの大学で教える。クローチェと協力して約20年間『批評(クリティカ)』誌を発行、膨大な『イタリア百科全書』の発行責任者を務めた。1922年から1924年にかけてファシスト政府の文部大臣となり、いわゆるジェンティーレ改革を提案する。ファシズムの思想的指導者として影響力をもったが、ファシズム失墜後、ドイツ占領軍が樹立した傀儡(かいらい)政権に忠誠を誓ったため、裏切り者としてフィレンツェで殺害された。
クローチェとともにイタリア観念論の代表者であり、ヘーゲルの弁証法を「思惟(しい)されたもの」の弁証法として批判し、「思惟するもの」すなわち思惟の活動的な主観の発展、生成としての弁証法しかないと考える。超越的主観たるこの「アット・プーロ」(純粋活動)を中心とした「活動主義」は、主著ともいうべき『純粋活動としての精神の一般的理論』(1916)のなかで展開されている。歴史を思惟する活動の発展としてとらえ、その思弁的体系としての側面を重視し、哲学と哲学史を同一視するため、哲学史に関する著述も多く、それらは『イタリア哲学史』(1936)に収められている。教育学においては、自己形成に教育の重点を置くことによって、単なる技術主義を克服すると説く。
[大谷啓治]