ジンプリチシムス(その他表記)Simplicissimus

改訂新版 世界大百科事典 「ジンプリチシムス」の意味・わかりやすい解説

ジンプリチシムス
Simplicissimus

1896年4月にミュンヘンにおいてランゲンAlbert Langen(1869-1909)によって創刊された風刺漫画週刊誌。1967年まで続いたが1914年までのドイツ帝国時代が最盛期で,以後は過去の名声に頼った衰退の歴史をたどる。政治・社会風刺のカリカチュア雑誌としては,ドイツでこの水準と豊かな多様性に達したものはなく,伝説的名声を博している。内政・外交問題,文化・宗教問題,社会問題などを反政府・反教会の市民的デモクラシーの立場で戦闘的に扱いしばしば物議をかもした。成功の秘密はハイネThomas Theodor Heine(1867-1948)やグルブランソンOlaf Gulbransson(1916-61)らの風刺漫画とトーママイリンク,ローダ・ローダRoda Roda(1872-1945),ポルガーAlfred Polger(1873-1955),カールクラウスらの風刺的文章の多彩なアンサンブルにある。第1次大戦には戦争を支持し,ナチス時代には体制化して存在理由を失った。ドイツ市民社会の性向を知る上で貴重な資料である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジンプリチシムス」の意味・わかりやすい解説

ジンプリチシムス
Der abenteuerliche Simplicissimus Teutsch

ドイツの作家グリンメルスハウゼンの小説。5巻。 1668年刊 (本には 1669年と印刷されている) 。原題『冒険好きのジンプリチシムス』。『阿呆物語』の訳名でも知られる。農家で育ったジンプリチシムス (「大馬鹿者」の意) と呼ばれる無知で世間知らずの少年が,森の中で隠者から教育を受けたのち世間に出て,小姓,道化役者をつとめたり,兵隊として略奪強盗を働いたり,捕虜となったりのさまざまな体験を重ね,世界を知るようになるが,結局現世無常を悟り,隠者として山にこもる。のち第6巻を加え,心の平和を求めてエルサレム巡礼の旅に出かけ,途中嵐のため南海孤島に漂着して,そこで平安を得て生涯を終えるまでを語る。スペインの「悪者小説」の流れをくみ,三十年戦争時代の混沌とした社会での一人の人間の成長と魂の救済を描いたドイツ教養小説の傑作の一つ。長らく無視されていたが,ロマン派によって再評価された。

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世界大百科事典(旧版)内のジンプリチシムスの言及

【カリカチュア】より

… 19世紀の印刷技術の躍進に伴ってジャーナリズムも発達し,もともと版画と関係の深かったカリカチュアも,新聞,雑誌などを舞台として広い影響を及ぼす。19世紀の前半ではフランスの《カリカチュールLa Caricature》(1830),《シャリバリ》(1832),イギリスの《パンチ》(1841),ミュンヘンの《フリーゲンデ・ブレッターFliegende Blätter》(1845),イタリアの《フィスキエットIl Fischietto》(1848)などの雑誌が発刊され,世紀末にはフランスの《リールLe Rire》(1894),《アシエット・オー・ブールAssiette au Beurre》(1901),ドイツの《ジンプリチシムス》(1894)などが重要な戯画の専門誌で,社会や政治への過激な,あるいは洗練された風刺やユーモアのある挿絵を載せた。19世紀中期にフランスで活躍した作家はグランビル,トラビエス,ガバルニ,H.モニエ,ジル,ドーミエらで,国王ルイ・フィリップは洋梨に記号化されて辛辣な風刺の的とされた。…

※「ジンプリチシムス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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