トーマ(その他表記)Ludwig Thoma

デジタル大辞泉 「トーマ」の意味・読み・例文・類語

トーマ(Charles Louis Ambroise Thomas)

[1811~1896]フランスの作曲家。オペラ作曲家として活躍。作「ミニョン」「ハムレット」など。トマ。

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精選版 日本国語大辞典 「トーマ」の意味・読み・例文・類語

トーマ

  1. [ 一 ] ( Albert Thomas アルベール━ ) フランスの政治家。社会主義者。一九二〇年から三二年まで、国際連盟の国際労働事務局総長をつとめた。(一八七八‐一九三二
  2. [ 二 ] ( Charles Louis Ambroise Thomas シャルル=ルイ=アンブロワズ━ ) フランスの作曲家。初期ロマン派に属し、主に歌劇および喜歌劇を作曲。パリ音楽院長をつとめた。代表作は「ミニョン」。(一八一一‐九六
  3. [ 三 ] ( Ludwig Thoma ルートビヒ━ ) ドイツの小説家。代表作は南ドイツの農民生活の表裏を風刺的に描いた「農民」「悪童物語」など。(一八六七‐一九二一
  4. [ 四 ] ( Thomas ) 一二世紀のフランスの詩人。中世ヨーロッパ最大の恋愛物語伝説「トリスタン」を書き直した。トーマ=ダングルテールとも呼ばれる。生没年未詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「トーマ」の意味・わかりやすい解説

トーマ
Ludwig Thoma
生没年:1867-1921

ドイツの小説家,劇作家,抒情詩人。筆名ペーター・シュレミールPeter Schulemihl。バイエルン州オーバーアマーガウに営林官の息子として生まれ,法律を学び,ミュンヘンダッハウで弁護士となる。かたわら社会風刺雑誌《ジンプリチシムス》の編集者として官僚・聖職者社会の腐敗に対して論陣を張り,また方言作家として無知な民衆の側に立ちながら,頑迷な小市民生活・農民生活を俎上にのせた多数の社会批判的著作をあらわした。ゆがんだ大人の世界を悪童の目から描いた《悪童物語》(1904),その続編《新悪童物語》(1906),喜劇《道徳》(1908初演),悲劇《マクダレーナ》(1912初演)などが有名。とくに〈民衆劇〉と銘打たれ,人間の行為や思考を規定する農村モラルの犠牲者となって破滅していく父娘の悲劇を描いた《マクダレーナ》は,西ドイツの現代民衆劇作家M.シュペルやF.クレッツらの方言劇の先駆的作品として,近年再評価されている。
執筆者:


トーマ
Albert Thomas
生没年:1878-1932

フランスの社会主義者。高等師範学校卒業,リセ教授。ジョレスの《ユマニテ》創刊とともに編集陣に加わり,第1次大戦前,フランス社会党の代表的論客となった。その立場は,労働組合,協同組合,社会主義政党の行政への介入によって漸次的な社会改良と抜本的な社会変革がともに可能になる,とするもので,この観点がミルラン入閣支持,サンディカリスム擁護という一見矛盾する主張を行わせた。統一以後の社会党で中央執行委員,1910年から同党選出国会議員。また協同組合運動家として,超党派的な全国消費組合連合を結成,さらにその国際組織を指導した。第1次大戦勃発後,行政参加,企業国有化の好機として軍需物資調達計画の立案に協力,のちに軍需相に就任した。戦後は,戦時経済に関する国際的権威として評価を得て,国際連盟の枠内で経済復興を担当,この間,国際労働機関ILOの設立に尽力して,死に至るまで初代事務局長を務めた。
執筆者:


トーマ
Charles Louis Ambroise Thomas
生没年:1811-96

フランスの作曲家。パリ音楽院で学び,1832年カンタータ《エルマンとケティ》でローマ大賞を得てイタリアに留学。帰国後舞台作品を次々に発表。とりわけゲーテの《ウィルヘルム・マイスター》による《ミニョン》(1866)は,《君よ知るや南の国》などの名曲を含み,オペラ・コミック座で彼の在世中1000回以上の公演を記録する大成功を収めた。ほかにオペラ《レーモン》(1851),《ハムレット》(1868)などがある。56年より母校作曲科教授,71年より同院長。
執筆者:


トーマ
Hans Thoma
生没年:1839-1924

ドイツの画家。ベルナウ(オーバーバイエルン)生れ。カールスルーエ美術学校に学び,ミュンヘン,フランクフルト,カールスルーエで活動。1860年代末にクールベを知り,その強い影響下に写実的な風景画や戸外での人物画を描いたが,やがてイタリア美術ベックリンの作品に影響され,寓意的,象徴的な主題をもつ絵画へと向かった。現在では《陽の光の中で》(1867)など初期の自然主義的作品が高く評価されている。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「トーマ」の意味・わかりやすい解説

トーマ(Hans Thoma)
とーま
Hans Thoma
(1839―1924)

ドイツの画家、版画家。シュワルツワルトのベルナウに生まれる。初め石版画の手ほどきを受け、また漆工として働いたあと、カールスルーエおよびデュッセルドルフ美術学校に学ぶ。1868年パリに旅してクールベおよびバルビゾン派の影響を受ける。70年ミュンヘンに移住してウィルヘルム・ライプル、ベックリンらと交友。74年イタリア旅行でマレースと知る。77年フランクフルトで名声をあげ、99年カールスルーエ美術学校教授に迎えられ、同地に没。様式は多様であるが、写実的な風景、人物、静物に優れ、石版画の興隆に貢献した。代表作『ライン河畔』(1875)。

[野村太郎]


トーマ(Ludwig Thoma)
とーま
Ludwig Thoma
(1867―1921)

ドイツの作家。バイエルンのオーバーアメルガウに生まれる。ペーター・シュレミールPeter Schlemihlの筆名もある。父は営林官。林学専攻のあとミュンヘン、エルランゲンで法律を修め、ダッハウで弁護士を開業。かたわら『ジンプリツィシスムス』誌を編集、写実的手法で風刺小説を執筆。僧侶(そうりょ)社会の道徳欠如と隷属根性を揶揄(やゆ)し、市民、農民の俗物根性を痛撃する。代表作は『アンドレーアス・フェスト』『男やもめ』『道徳』『悪童物語』など。バイエルン方言を織り込み、俗悪な社会を軽妙洒脱(しゃだつ)な筆致で活写する。生涯郷里に住み、土地の旧弊と俗習を辛辣(しんらつ)につく。その反面、土地の環境から離れては生活できない人々に温かいまなざしを注いでいる。

[古賀保夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トーマ」の意味・わかりやすい解説

トーマ
Thoma, Ludwig

[生]1867.1.21. オーベルアンメルガウ
[没]1921.8.26. ロータハ
ドイツの小説家,劇作家。ミュンヘン大学で法律を学び,ダッハウで弁護士を開業。 1899年に風刺雑誌『ジンプリチシムス』の編集者となり,ペーター・シュレミール Peter Schlemielという筆名を用いて社会を鋭く批判した。ユーモアと風刺にあふれた短編小説,自然主義的な農民小説や農民喜劇で,バイエルンの人と生活とを描いた。作品は喜劇『ローカル線』 Die Lokalbahn (1902) ,小説『アンドレアス・フェスト』 Andreas Vöst (06) ,短編集『悪童物語』 Lausbubengeschichten (05) ,『フリーダおばさん』 Tante Frieda (07) など多数。

トーマ
Thoma, Hans

[生]1839.10.2. シュワルツワルト
[没]1924.11.7. カルルスルーエ
ドイツの画家。カルルスルーエの美術学校に学び,1899年同校の校長。 1868年パリに旅行し,G.クールベの写実主義に強い影響を受けた。 70~74年ミュンヘンで W.ライプル,A.ベックリンらと交わる。写実的な作風のうちに M.シュウィント以来のドイツ・ロマン派絵画の特色である世俗的なセンチメンタリズムを加味した風景画,人物画,静物画で知られる。エッチングにもすぐれ,石版画の復興に尽力した。

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百科事典マイペディア 「トーマ」の意味・わかりやすい解説

トーマ

フランスの作曲家。パリ音楽院(コンセルバトアール)に学び,1832年ローマ大賞を受賞。イタリア留学後オペラやバレエ音楽を次々と発表し,グノーと並ぶ19世紀フランス・オペラの担い手となった。代表作《ミニョン》(1866年)の第1幕のロマンス《君よ知るや南の国》は広く知られる名曲。ほかにオペラ《ハムレット》(1868年)などがある。1856年より母校教授を務め,1871年−1896年院長。→マスネー

トーマ

ドイツの画家。シュワルツワルトのベルナウ生れ。カールスルーエの美術学校で学んだのち,パリに出てクールベの影響を受けた。同時代のライブルがクールベに学んで写実に徹したのに対し,一種のロマン主義を加味,印象派に近い明るい画風を展開した。晩年カールスルーエの美術館長,美術学校教授。代表作に《マイン河畔》(1875年,ミュンヘン,ノイエ・シュターツガレリー蔵)などがある。

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「トーマ」の解説

トーマ

正式社名「株式会社トーマ」。英文社名「TOMA CO., LTD.」。製造業。昭和2年(1927)「当麻木工所」創業。同35年(1960)株式会社化。同39年(1964)「当麻硬板株式会社」に改称。本社は奈良県大和高田市東雲町。住宅部材メーカー。クローゼットドア・リビングドア・間仕切りドアなど木製品の製造を行う。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「トーマ」の解説

トーマ
Albert Thomas

1878~1932

フランスの政治家。第一次世界大戦前,社会党代議士となり,大戦中は挙国一致内閣の軍需相を務めた。徹底した改良主義者として,戦後は国際労働機関の事務局長として活躍した。

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世界大百科事典(旧版)内のトーマの言及

【ライン[川]】より

…流域には便宜的な区別がなされており,最上流部の主要な2流域を前ライン(フォルダーライン),後ライン(ヒンターライン),両者の合流点からボーデン湖まで(165km)をアルプスライン,ボーデン湖からバーゼルまで(140km)を高ライン(ホッホライン),バーゼルからビンゲンまで(330km)を上ライン(オーバーライン),ビンゲンからボンまで(100km)を中ライン(ミッテルライン),ボンから河口まで(370km)を下ライン(ニーダーライン)と呼んでいる。 前ラインはオーバー・アルプ峠付近の氷河圏谷の湖,トーマ湖(標高2344m)から流れ出す。一方,後ラインはトーマ湖の南東方約40kmのアドゥーラ山群ラインワルトホルンRheinwaldhorn(3405m)の氷河を源とする。…

【ILO】より


[課題]
 ILOは1969年の創立50周年にノーベル平和賞を授与された。労働者の国際的保護のための地道な努力がこの栄誉を受けた理由であるが,ILOの威信も無関係でないとすれば,初代総長(1919‐32)のフランス人アルベール・トーマに触れるべきであろう。トーマの高い見識と卓越した指導力が今日のILOの基礎を築いた。…

※「トーマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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