ダン(読み)だん(英語表記)John Donne

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダン」の意味・わかりやすい解説

ダン
だん
John Donne
(1572―1631)

イギリスの詩人。形而上派詩人(メタフィジカル・ポエット)グループ(16世紀末~17世紀中期)の中心的存在。ロンドンに生まれる。母は劇作家J・ヘイウッドの娘であり、カトリックで、トマス・モアの家系に連なる。オックスフォード、ケンブリッジ両大学で学んだのち、リンカーン法学院に入る。青年時代は、遊蕩(ゆうとう)児の評判をとる。国璽尚書(こくじしょうしょ)エジャートン卿(きょう)秘書となったが、1601年卿の姪(めい)アン・モアとの秘密結婚が露見したため公職の道を断たれ、不遇の時代が続き、その間、神学の研究に没頭したと考えられている。15年聖職につき、21年には国王ジェームズ1世によりロンドンのセント・ポール大聖堂の首席司祭に任ぜられ、雄弁な説教者としてその名は一世を風靡(ふうび)した。

 聖職就任以前の作と考えられる恋愛詩は、エリザベス朝期流行の典雅なペトラルカ・スタイルをしのぐ詩風で、冷徹なリアリズムとシニシズム、強靭(きょうじん)な論証スタイルを特色とする。ダン死後、墓から恋人の形見白骨に絡まる金髪の腕輪」が発見されるという衝撃的イメージなどが20世紀に入り再評価を受け、T・S・エリオットら現代詩人に影響を与えた。「聖列加入」「蚤(のみ)」「ベッドに入る恋人へ」など恋愛詩は死後の1633年刊の『詩集』(「唄(うた)とソネット」を含む)で初めて公にされた。「ガウンが滑り落ちて露(あら)わになる美しさは/山影がひいて現れる花いっぱいの草原」「一度抱いたらミイラにすぎぬ」などの詩句にみる露骨な官能性、冷笑、エロス的哄笑(こうしょう)、スコラ的機知、また「歴史にその名を残さぬ2人でも/愛の詩(うた)がぼくたちの美しい納骨堂だ」と歌う死をめぐる愛と闇(やみ)の思いなど、反発し牽引(けんいん)しあう諸要素の緊張をはらむ点でマニエリスム文学の典型と目される。そして「キリストの花嫁」の一節、「心やさしい夫(キリスト)よ、嫌がるあなたの花嫁を私たちの前にお見せ下さい/そして愛欲に濡(ぬ)れる私の心にあなたのその慎み深い白鳩を口説かせて下さい」のように、彼の宗教詩には魂のテーマを肉体のイメージで表現するカトリック的感性が顕著である。これは「誰(た)がために鐘は鳴る、そは汝(なんじ)のためなり」などの句で知られる説教や祈祷(きとう)文についても同様で、散文家としても名高い。

[河村錠一郎]

『川崎寿彦著『ダンの世界』(1967・研究社)』『藤井治彦・高階秀爾・河村錠一郎他著『ルネッサンスと反ルネッサンス』(1974・学生社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダン」の意味・わかりやすい解説

ダン
Donne, John

[生]1572. ロンドン
[没]1631.3.31. ロンドン
イギリスの詩人,聖職者。形而上詩人の代表者。オックスフォード,ケンブリッジ両大学に学んだのち,リンカーン法学院に入り,風刺詩,恋愛詩を書きはじめ放埒な生活をおくった。エセックス伯に従ってスペインに出征,続いて国璽尚書 T.エジャートンの秘書となったが,夫人の姪アンとの秘密結婚の発覚により栄達の望みを断たれ自殺を考えたこともあった。後半生は国教の聖職者として再起,名説教をうたわれ,セント・ポール寺院の首席司祭をつとめた。不遇に耐えた彼の強靭な精神力は特異な比喩的表現と推論を特徴とする恋愛詩や風刺詩を生み出した。 R.ドルアリーの娘エリザベスの死を悼む作品を含む『周年の詩』 Anniversaries (1612) のほか,『自殺論』 Biathanatos (08執筆) や説教集など,作品多数。 H.グリアソン,T.S.エリオットらの再評価によって 20世紀の詩壇に強い衝撃を与えた。

ダン
Dunne, Finley Peter

[生]1867.7.10. シカゴ
[没]1936.4.24. ニューヨーク?
アメリカのユーモア作家,編集者。機知に富んだマーティン・ドゥーリーを主人公にした作品で知られる。主著『ドゥーリー氏の平和と戦争』 Mr. Dooley in Peace and War (1898) ,『ドゥーリー氏曰く』 Mr. Dooley Says (1910) など。

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