すごろく

改訂新版 世界大百科事典 「すごろく」の意味・わかりやすい解説

すごろく

室内遊戯の一つ。双六または雙六と記し,盤すごろく絵すごろくに大別される。盤すごろくは長方形の遊戯盤で2人で遊ぶ。12升目の2列の盤上で,白黒各15個の駒を2個の賽をふって進めるゲームである。絵すごろくは紙面の区画の中に絵を描き,賽をふって駒を所定の区画の順に進ませるゲームで,数人同時に遊ぶことができる。

盤すごろくの起源は古く,インド起源説もあるが,祖型は紀元前3千年紀の古代エジプトにみられる。それは10升目が3列に並んだ遊戯盤で,動物の骨でつくった賽や投げ棒で盤上の駒を動かした。この型の遊戯盤はギリシアやローマに伝えられて,古代世界の代表的な盤上ゲームになった。古代ギリシアではエジプト型から12升目3列の遊戯盤になり,遊戯法の変化のためか古代ローマで中央の列のない12升目2列の型も現れた。東方への伝播はギリシアの植民地を通じて西南アジアから中近東に伝えられ,さらにシルクロードを通って中央アジア,インド,中国へも達した。西方へはローマ帝国によりヨーロッパ全域とイギリスに伝えられ,中世以後すべての階層に流行した。升目は細長い三角形に変化しターブルtable,タボラtavola,トリックトラックtrictrac,プッフシュピールPuffspiel,テーブルtable,17世紀以後はバックギャモンbackgammonなどと異なった名称で呼ばれているが,すべて同一のゲームである。バックギャモンは,現在でもヨーロッパから中近東にかけて最もよく行われている盤上ゲームである。なお,16世紀以後イタリアで,17世紀以後イギリスを中心に,日本の絵すごろくと同じ〈ガチョウゲームgoose game〉が流行した。

 すごろくの日本への伝来は非常に古く,すでに689年(持統3)に〈雙六禁断〉の禁令が出されている。正倉院に桓武天皇愛用の螺鈿(らでん)細工の華麗な8世紀のすごろく盤が収納されているが,これは中国新疆ウイグル自治区アスターナの,唐代の貴族の墓から出土したすごろく盤と酷似している。厚板状の盤すごろくは日本では古代から中世末期まで流行し,《万葉集》《今昔物語集》《古今著聞集》《源氏物語》《枕草子》など多くの説話や文芸作品に記され,《長谷雄卿草紙》《鳥獣戯画》に遊戯のようすが描かれている。《方丈記》にすごろくを遊ぶときの心構えが述べられ,《看聞日記》に連日盤すごろくに興じた記事がある。盤すごろくの名手は一芸に秀でた〈芸人〉〈職人〉とされ,賽の目の偶然性に依存するゲームなので勝負には賭(かけ)が行われ,すごろくは賭博用具として広く普及した。平安時代や鎌倉時代にすごろくは賭博と同義語に用いられた。それゆえ,すごろくの禁令は近世に至るまで繰り返し出されたが,いっこうにやむことはなかった。16世紀にポルトガル人が来航した際伝えられた遊戯盤は,日本で〈西洋すごろく〉と呼ばれたが,これは盤すごろくと同じもので,同一の遊戯盤が約1000年を経て再び伝来したわけである。江戸時代にすごろくが嫁入道具や雛祭の装飾品になった事実をみても,いかに日常生活に根づいたゲームであったかが理解できる。盤すごろくは明治以後しだいに凋落し,第2次大戦前にはほとんど遊ばれなくなってしまった。

 絵すごろくは江戸時代以前から始まったと推定され,当初は中国で官職や仏名を憶えるための教材にしたといわれている。日本でも初期の〈官位すごろく〉〈仏法すごろく〉〈浄土すごろく〉と呼ばれているものは絵が描かれていない。江戸時代に参勤交代や交通網の整備により,旅行案内を兼ねた〈道中すごろく〉が流行し,浮世絵師も加わって後半期には風俗を主題にした多種多様なすごろくが考案された。明治時代には欧米の風俗習慣や維新後の新制度を描いたすごろくも現れ,時代を反映したさまざまな絵すごろく(または寿語録)がつくられ,大正期から第2次大戦前まで家庭内の室内ゲームとして盛んであった。

盤すごろくの遊戯法は,15個の駒を升目の端から端に早く移動させた方が勝ちというのが基本で,変形した遊戯法もある。筒に入れた賽を2個ふり,2個の駒を賽の目に応じて進めるが,二つの賽の目が同じ場合に特別な利点がある。相手の駒が2個入っている升目には味方の駒が入れず,賽の目で入ることのできない升目に進んだ駒は盤上から除かれる。その駒は次回の賽の目によって再び出発点(端の升目)から盤上を進む。盤すごろくは賽の目と駒の進行を組み合わせて,互いに相手の駒の進行を妨害しながら駒を進めていく,複雑で興味深いゲームである。遊戯法は本(ほん)すごろく,つみかえ,折り葉,追込みなどがあり,江戸末期の《雙六独稽古》に詳しい。絵すごろくは一般に螺旋状に升目が区分され,外周の一端が出発点(振出し)で,中心部の終点(上り)に駒が早く達した方が勝ちである。賽の目や升目によって休止,飛越し,出発点に戻るなどのルールになっているが,単純で初心者にも楽しめる遊びである。なお,1970年代にバックギャモン(西洋すごろく)愛好者が集まって日本バックギャモン協会が創設され,定期的に大会がおこなわれている。
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百科事典マイペディア 「すごろく」の意味・わかりやすい解説

すごろく

(さい)を用いる室内遊戯の一種。双六と記され,以下の2種に大別。(1)盤すごろく。前3世紀のエジプトに起こり,西はヨーロッパに伝わってバックギャモンに,東は中国に伝わってすごろくとなる。日本には7世紀末ごろ中国から伝来し,江戸時代まで行われた。2人で遊ぶもので,黒白15の石を12区画された盤上の自陣に並べ,2個の賽を筒から振り出す。賽の目数で石を進め,15の石を早く敵陣地内に進めた者が勝ちとなる。(2)絵すごろく。江戸時代以前に始まったと推定される。起源は未学の僧に天台の名目を教える絵(名目すごろく,仏法すごろく)で,転じて浄土すごろくとなった。賽の目数で,紙盤の振出しから駒を進め,上がりを競う。江戸時代には道中すごろくが流行したほか,福神すごろく,野良(やろう)すごろく等多様な型が考案された。明治以降,正月の子どもの遊びとして行われているものはこの系統に属する。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「すごろく」の意味・わかりやすい解説

すごろく

双六,雙六,双陸などと書く。盤,駒,さいころ,筒を道具として遊ぶ室内遊戯。盤をはさんで2人が対座し黒と白の駒石各 15個を並べ,筒内の2個のさいころを振出してその数だけ駒を進め,早く敵陣に攻め入った者を勝ちとする。古くは六采ともいい,俗に「須久呂久」といったと『倭名類聚抄』にある。インドに発して中国を経て日本に伝わったといわれるが,その時期は明らかではない。しかし,『日本書紀』持統3 (689) 年 12月の条に「丙辰禁断雙六」とあり,また『万葉集』巻十六の長忌寸意吉麻呂の歌に「ひとふたの目のみにあらず五つ六つ三つ四つさへあり雙の采」とあるので,8世紀以前と考えられる。江戸時代以降には主として現在と同じ絵すごろくが出現し,数人がさいころの目数で駒を進め,早く上がった者を勝ちとするようになった。 (→ダイス )

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世界大百科事典(旧版)内のすごろくの言及

【賽】より

…すごろくや賭博などに用いる道具。現在一般的に使われているのは,立方体の各面に1~6の点を記し,1の裏が6,2の裏が5というように両面の和がいずれも7になるように配したもの。…

【賭博】より

…遊戯としての賭博の初見は,685年(天武14)9月に天武天皇が大安殿に御して王卿らを呼び行わせた博戯で,御衣,袴,獣皮などを下賜した。このときの博戯は,中国から渡来したすごろく,樗蒲(かりうち)の類であったと思われる。すごろくは,筒から2個のさいころを振り出してその目の数により,局の上の黒白15個の馬を進める遊戯で,その遊具一そろいが正倉院に収蔵されている。…

【バックギャモン】より

…競技者がダイス(さいころ)の目によって盤上の駒を進め,相手より先に目的地に達した方が勝ちというタイプのゲームを,ゲーム研究家はレース・ゲームrace gameと名づけている。バックギャモン(西洋すごろくと訳されることが多い)は,典型的なレース・ゲームであるとともに,最古のレース・ゲームの直系である。皇帝ネロも愛好したと伝えられる古代ローマの〈十二線ゲームindus duodecim scriptorum〉から派生したのがバックギャモンと考えられる。…

※「すごろく」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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