すごろくや賭博などに用いる道具。現在一般的に使われているのは,立方体の各面に1~6の点を記し,1の裏が6,2の裏が5というように両面の和がいずれも7になるように配したもの。〈さいころ〉ともいい,英語のダイスdiceにあたる。最も原始的な賽には,古代で神前に犠牲として捧げた動物のくるぶしの骨を用いたアストラガルスastragalsがある。ほぼ六面体で2面が湾曲しており,ふると四つのいずれかの面が上に向くようになっていた。アストラガルスは神託を受ける祭具として使われ,後に娯楽用具となった。前3千年紀の古代エジプトには遊戯用のアストラガルスがあり,これを加工した立方体の賽がつくられた。同じころに古代メソポタミアの神殿都市ウルでは,三角錐の粘土製四面体の賽が遊戯用として使われていた。また古代エジプトでは遅くとも前2千年紀に角柱の小棒状の賽があり,人類の最も古い文化は四つの目の賽を用いていたといえる。古代インドの賽は表裏が明確なタカラガイが使われ,古代中国では木片に1から4までの印を付けた4枚一組の賽が使われた。またアメリカ・インディアンは動物のくるぶしの骨や歯,鳥の爪,貝殻,木の実,印を付けた小板や加工した石片などを用いた。このように原始的な賽は,じつに多様であった。現在のような立方体の賽は,古代エジプトで最初に使われたことが発掘品より断定できる。アストラガルスは古代ギリシアで婦人や子どものお手玉のような遊びの玩具となったが,立方体の賽は賭博用具としてしだいに精巧になった。古代ギリシアや古代ローマでは六面体だけでなく二十面体や十四面体の賽,人間の座像を模したものなどもつくられたが,遊戯の実状にあわなかったのか漸次淘汰されて,立方体の賽が広く愛好されるようになった。日本では正倉院に象牙製の賽が伝えられており,また大宰府址から4枚一組の木片の賽や,多賀城跡から立方体の賽(8世紀)が出土している。
執筆者:増川 宏一 中国漢代にも十八面体の銅ないしは木製の賽があった。16面に1~16までの数字を記し,他の2面に〈酒来〉〈自飲〉〈驕〉などの字を配する。酒宴で酒を飲む順序を指名する酒令という遊びに使ったもので,河北省満城2号漢墓からは,銅製の賽と客に配ったカードらしい宮中行楽銭という銭形の遊具がともに出土している。
執筆者:町田 章
古代エジプト,アッシリア,モヘンジョ・ダロで発掘されたものは1の裏が2,3の裏が4,5の裏が6になっていて,イラク出土の賽は1の裏が6,2の裏が3,4の裏が5になっている。3世紀ころのイランの文献では,賽の目の表裏の合計はいずれも7になるとされているので,数世紀の間に変化したものと推定される。しかし中世ドイツの賽製造所跡から収集された多数の賽は,古代エジプト型のほかに変則的な目の配置のものがあり,当時はまだ目の印の位置が一定していなかったことを示している。賽は1から6までの数だけでなく用途によって多数の数を記したり,近世ヨーロッパでは鐘と錨を記したものも現れた。とくに中国南部を含む東南アジア全域で,文字や絵を記した賽が多く,〈魚,蟹,王,蝶,美女,蝦〉(中国),〈酒,虎,蟹,魚,鶏,金〉(ベトナム),〈文,徳,勲,武,軟,貧〉(朝鮮)などがある。日本でもすごろく用に,〈南,無,分,身,諸,仏〉や〈祚,品,位,階,等,級〉と記されたものがつくられた。
最も古い記述は古代インドの《マハーバーラタ》やジャータカに述べられている。これらは表裏のある5個の賽をふって表が多く出た方を勝とする方法と,1個の賽を3回ふる方法とがあったと推定される。後者は3回の目の組合せをアーヤといい,自分の指定したアーヤに合致したかどうかで勝敗を決めた。古代エジプトやメソポタミアでは,賽は神や神官になぞらえた盤上の駒を動かす補助具で,古代ギリシアでダイスゲームとして分離し独立した。ポンペイの遺跡からダイスゲームの壁画が発見されている。この時代からダイスゲームに賽をふる筒が用いられた。ダイスゲームから分岐したものにドミノがある。ダイスゲームはローマ帝国の版図の拡大とともにヨーロッパ全域に広まった。9世紀のカール大帝の賭博禁止令,12世紀スペインのアルフォンソ王の遊戯書,13世紀のドイツ法典にもさいころ賭博について言及されており,すでに12世紀には10種類のダイスゲームがあったと伝えられている。近世になると各地にさいころ賭博場がつくられ,またカードゲームと組み合わせたダイスゲームも考案されてますます広範に愛好された。さいころ賭博の隆盛とともに,一定の目のみを記したり,詰物をして特定の目がでるように細工した賽も現れた。
日本の賽は,古代より中世にかけて双六盤(すごろくばん)の駒を動かす補助具として用いられたが,中世に賭博用具として分離し,四一半(しいちはん),七半(しちはん)という賭博が広く行われた。詳細は不明であるが,さいころの4と1,あるいは2個の目の合計で7の目が出たときは賭け手の賭金の半分を胴元が取る方法と推定される。近世になると,胴元が順次交替してさいころの偶数か奇数で勝負する丁半(ちようはん)が一般化し,1個のさいころを使う単純な〈ちょぼ一〉など幾つかの方法も流行した。それに伴って悪賽と呼ばれる細工した賽が多数出回り,江戸幕府は繰り返し取締りを布令した。幕末から明治時代にかけて,4個または5個のさいころを使う賭博も考案され,さいころ賭博の方法も完成した。
賽を用いた遊びは数を主体としたゲームであるが,数の多少を比べるだけでなく,指定した数による勝敗や賽の数を増やすことによって目の数の組合せを複雑にし,また特定の数や役を設けることによって,より興味深いゲームに発展した。現在,欧米での代表的なダイスゲームは50種類以上になるが,大別すると次のとおりである。(1)ホーム・ダイスゲーム 主として1個か2個の賽を用い,早く一定の数に達した方を勝とする単純なゲームが多い。(2)プライベート・ダイスゲーム パブ(酒場)などで遊ばれる小人数のゲーム。17世紀以来の古典的な種類も含まれ,おもに特定の目を多くだした方を勝とするゲームが多い。(3)プロフェッショナル・ダイスゲーム 18世紀のヨーロッパの賭博場や開拓時代のアメリカで行われたプロの賭博師向きの熟練を要するゲーム。賽の数も多くなり10個の賽を13回ずつふる勝負もある。(4)クラップス 現在の賭博場で最も広く行われているゲームで,19世紀に流行した〈ハザード〉賭博の改良型。2個の賽の5回ふりで,特定の数の組合せが勝敗のポイントになる複雑なゲーム。
→賭博
執筆者:増川 宏一
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…小児が死後に赴き,鬼から苦しみを受けると信じられている。《法華経》方便品にある〈童子戯れに砂を聚めて塔を造り,仏道を成ず〉から構想された鎌倉時代の偽経《地蔵十王経》や解脱上人(貞慶)作という《地蔵和讃》,また江戸時代の《賽の河原地蔵和讃》などにより,地蔵信仰のたかまりとともに,中世以降とくに江戸時代に普遍化した俗信である。《賽の河原地蔵和讃》は〈死出の山路の裾野なる賽の河原の物がたり〉で,十にも足らない幼き亡者が賽の河原で小石を積んで塔を造ろうとするが,地獄の鬼が現れて,いくら積んでも鉄棒で崩してしまうため,小児はなおもこの世の親を慕って恋い焦がれると,地蔵菩薩が現れて,今日より後はわれを冥途の親と思え,と抱きあげて救うようすがうたわれている。…
※「賽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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