スピーカー(読み)すぴーかー(英語表記)Tristram E Speaker

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スピーカー」の意味・わかりやすい解説

スピーカー(loudspeaker)
すぴーかー
loudspeaker

電気信号を音響信号に変換し、音波として空間に放射するために使う電気音響変換装置。拡声器ともいう。電気音響変換を行うスピーカーユニット単体スピーカーとよぶこともあるが、一般には1個または複数個のスピーカーユニットを、バッフルホーン、分割回路などとともに組み合わせてスピーカーシステムを構成したものをいう。

[吉川昭吉郎]

分類

スピーカーにはいろいろな形式・構造のものがある。電気音響変換の原理から分類した場合、ダイナミックスピーカーマグネチックスピーカーコンデンサースピーカーおよびセラミックスピーカーなどがある。このうち、もっとも重要なのはダイナミックスピーカーで、これは、磁界中に置かれた導体に作用する駆動力を利用したものである。原理的にひずみがなく、大きな音響エネルギーを扱うことができるので、もっとも広く使われている。マグネチックスピーカーは、磁界中に置かれた磁性体に作用する駆動力を利用したものであり、コンデンサースピーカーは、振動板と背電極との間に作用する静電的な吸引力を利用したものである。いずれも大きな音響エネルギーを扱うのには向かないので、一般的ではない。セラミックスピーカーは圧電セラミックスを利用したもので、音質のよさが要求される用途には向かないが、小型軽量の特質を生かして簡易な音声応答装置などに多く使用されている。

 振動板からの音波の放射様式で分類した場合は、直接放射型スピーカーとホーンスピーカーとに分けられる。直接放射型スピーカーは、スピーカーユニットから直接、音を放射するもので一般的に使われている。振動板の形状にはさまざまなものがあるが、重要なものは円錐(えんすい)形の振動板を使ったコーンスピーカーと、ドーム形の振動板を使ったドームスピーカーである。ホーンスピーカーは、振動板の前にホーンをつけ、振動板から出た音が徐々に広がりながら広い空間に放射されるようにしたもので、大型・高価になるが、効率や特性のよいものをつくることができる。

[吉川昭吉郎]

構造

スピーカーユニットは単体で使われることはなく、振動板の後方に出た音を前方から隔離するためのバッフルbaffleとよばれる板または箱に取り付けて使われる。バッフルとして一般的なのは密閉箱である。これは後方の音を密閉した箱内に閉じ込めて吸収してしまうもので、構造は簡単であるが、低い周波数の音まで出すためには比較的大きな容積が必要となる。位相反転バッフル(バスレフレックスともよぶ)は密閉箱の一部、多くは前面に開口部を設け、振動板後方に出た音のうち、特定の低周波成分の位相を反転して開口部から前方に放射させることにより、比較的小型で低い周波数の音まで出せるようにしたものである。

 密閉箱または位相反転バッフルで、本棚に納まる程度に小型につくったものをブックシェルフ形スピーカーとよぶことがある。

 受け持つ周波数帯域の異なる2個以上のスピーカーユニットを使い、全体として広い周波数帯域をもつようにしたスピーカーシステムを、マルチウェイ・スピーカーシステムとよぶ。この場合、各スピーカーに加える電気信号の周波数帯域を分割するために使う電気回路を分割回路(デバイディング・ネットワーク)という。

[吉川昭吉郎]

『山本武夫編著『スピーカ・システム』(1977・ラジオ技術社)』



スピーカー(Tristram E Speaker)
すぴーかー
Tristram E Speaker
(1888―1958)

アメリカのプロ野球選手(左投左打)、監督。大リーグ(メジャー・リーグ)のボストン・レッドソックス、クリーブランド・インディアンス、ワシントン・セネタース(現ミネソタ・ツインズ)、フィラデルフィア・アスレチックス(現オークランド・アスレチックス)で外野手としてプレー。スーパープレーの数々でファンを魅了した名外野手であり、タイ・カップの連続首位打者獲得を9年で止めた好打者としても知られる。1919年から26年まではインディアンスで監督も務めた。

 4月4日、テキサス州ハバードで生まれる。1906年にプロ入りし、07年レッドソックスに昇格した。1909年には大リーグに定着してレギュラーとなった。広い守備範囲と強肩、そして二塁打と三塁打を量産する好打で知られるようになり、1912年と15年のワールド・シリーズ優勝に貢献した。1916年にインディアンスに移籍したが、この年に打率3割8分6厘をマークして首位打者となり、打率3割7分1厘のカップを上回った。ちなみにカップは前年まで9年連続首位打者となっており、また翌年から3年連続で同タイトルを獲得している。1919年のシーズン途中から監督兼任となり、20年には球団史上初のワールド・シリーズ優勝を達成した。1927年にセネタースに移って選手専任に戻り、打率3割2分7厘をマークしながら同年だけで解雇された。1928年はアスレチックスに所属したが、打率2割6分7厘に終わり、これが大リーグでの最後のシーズンとなった。1929年からは監督兼任でマイナー・リーグでプレーを続けたが、30年限りで現役を引退し、監督業からも離れた。

 選手としての22年間の通算成績は、出場試合2789、安打3514、打率3割4分5厘、本塁打117、打点1529。獲得したおもなタイトルは、首位打者1回、最多安打2回、本塁打王2回。監督としての通算成績(8年)は、617勝520敗、リーグ優勝1回、ワールド・シリーズ優勝1回。1937年に野球殿堂入り。

[山下 健]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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