アメリカの神経学者。コネティカット州ハートフォードに生まれる。オバーリン大学の英文科を卒業したが、引き続き同大学で心理学を学び、1937年に修士号を得た。その後シカゴ大学の大学院に進み、1941年に動物学の博士号を取得した。ハーバード大学で霊長類学の研究を続けたのち、1946年にシカゴ大学の解剖学助教授となり、1952年心理学準教授に昇格し、アメリカ国立衛生研究所(NIH:National Institutes of Health)の神経病部門の主任を兼務した。1954年にカリフォルニア工科大学で精神生物学の教授となり、1984年まで務めた。
大脳は左右二つの半球で構成され、脳梁(のうりょう)とよばれる多量の神経線維束がそれらを連絡している。スペリーはてんかん治療のため脳梁の切断手術を受けた患者を観察、その患者が右視野のみで物や文字を見ると、物の名をいうことや文字を読むことができるが、左視野のみで見た場合には、物の名をいえず、文字も読めなかった。この観察の結果、大脳の左半球では言語の理解や表現ができるが、右半球では言語による表現ができないことを明らかにし、両半球がそれぞれ異なる機能をもつことを示した。1981年「大脳半球の機能特化に関する発見」によりノーベル医学生理学賞を受賞したが、「大脳皮質視覚野の情報処理に関する発見」をしたヒューベル、T・N・ウィーゼルとの同時受賞であった。
[編集部 2018年8月21日]
『ロジャー・スペリー著、須田勇・足立千鶴子訳『融合する心と脳――科学と価値観の優先順位』(1985・誠信書房)』
アメリカの電気技術者、発明家。ニューヨーク州コートランドに生まれ、コーネル大学に学ぶ。発電機とアーク灯を改良(1879)。シカゴに電機工場(1880)、続いて鉱山用電機工場(1888)、電気鉄道会社(1890)、蓄電池会社(1890)を創設した。1900年ワシントンに電気化学研究所を創立し、ここで食塩を原料とした純粋なカ性ソーダの製法、塩素を利用したスズ回収法を開発した。もっとも有名な発明は船舶や航空機に使うジャイロコンパスであり、その製作にあたるスペリー・ジャイロスコープ会社を1910年に創立した。エジソンに次ぐ発明家といわれ、親日家としても知られている。1929年(昭和4)東京で万国工業会議を開催したのは彼の発意によるとされる。スペリーの設立したいくつかの会社はスペリー・コーポレーションとして統合されていたが、1986年バローズ・アディング・マシーン社と合併し、ユニシスCorp. となった。
[山崎俊雄]
アメリカの電気技術者,発明家で企業家。ニューヨーク州生れ。子どものときから機械に関心をもち,1876年のフィラデルフィア博覧会に出品されている諸機械に刺激され将来の方向を決める。発電機やアーク灯の製作にはじまり,80年には自分の会社スペリー電気会社を設立。88年,スペリー鉱山用電気機器会社を設立し,電動機を用いた鉱山機械を製造。なかでも鉱山用電気機関車は,90年に設立されたスペリー電気鉄道会社の基礎となった。ただし,スペリーはのちにこのプラントと特許をGE(ゼネラル・エレクトリック)社に売却し,1894年から1900年にわたり関心を電気自動車にむける。また,電気化学にも関心をもち,ワシントンに実験室をつくり,苛性ソーダの電解ソーダ法による新製法にとりくむ。
スペリーの発明で最もよく知られるものは,ジャイロコンパスとそれにもとづく方位計ならびに船や航空機の安定装置である。これはスペリーの電気工学の知識と機械工学の知識とによって達成されたもので,ドイツやイギリスでもジャイロコンパスの研究が当時行われていた。15年,彼は海軍諮問委員会の委員となり,国家レベルでの技術政策にも関与した。スペリーの生涯の特許件数は400をこえ,また研究期間も50年近くに及び,電気工学の広範な領域にわたって顕著な業績をあげ,数多くの賞を受賞した。
執筆者:奥山 修平
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(三好信浩)
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