スペードの女王(読み)すぺーどのじょおう(その他表記)Пиковая дама/Pikovaya dama

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スペードの女王」の意味・わかりやすい解説

スペードの女王
すぺーどのじょおう
Пиковая дама/Pikovaya dama

ロシアの詩人プーシキンの中編小説。1833年秋執筆、34年発表。ロシアに帰化したドイツ人の子で、ドイツ的堅実さのうちに情熱と空想を秘める若い工兵士官ゲルマンは、賭(か)けカルタをかならず勝利に導く奇跡的方法を知る87歳の老伯爵夫人の噂(うわさ)を耳にして野心に燃え立ち、夫人の養女リザベータに恋するとみせて接近し、その手引きで一夜夫人の家に忍び込み、夫人を脅迫する。夫人はショックのあまり死ぬが、葬式の夜その亡霊が現れて、3、7、1の順で一晩ずつ張るというその秘伝をゲルマンに伝える。ゲルマンはあるクラブでの命がけの大勝負で二晩続けて勝って大金を握るが、三晩目の「1」がスペードのクイーンと出たために失敗し、すべてを失って精神異常となる。幻想的、ロマン的な素材を、簡潔ですきのない古典的な構成文体でまとめあげており、プーシキンのもっとも優れた散文作品の一つとされる。なお、この小説に基づいたチャイコフスキー作曲のオペラ(1890、ペテルブルグ初演)は、ロシア歌劇の代表的レパートリーとなっている。

木村彰一

『神西清訳『スペードの女王・ベールキン物語』(岩波文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スペードの女王」の意味・わかりやすい解説

スペードの女王
スペードのじょおう
Pikovaya dama

ロシアの作家アレクサンドル・プーシキンの代表的な中編小説。1834年発表。一獲千金を夢みる貧しい工兵士官ゲルマンは,純情な乙女を欺き,老伯爵夫人を殺して賭博に必勝する秘訣掌中にするが,最後の勝負に敗れて発狂してしまう。プーシキンはこの作品において伯爵夫人が体現する旧社会を風刺的な筆致で描くとともに,当時ロシアにもようやく興りつつあった資本主義経済という新しい時代の新しい社会的タイプの特徴を初めて描き出した。幻想と現実がみごとにとけあい,簡潔で表現性に富み,整った構成をもつこの中編は,ロシア散文作品の最高傑作の一つで,ニコライ・ゴーゴリ,フョードル・ドストエフスキーに大きな影響を与えた。

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デジタル大辞泉プラス 「スペードの女王」の解説

スペードの女王

ロシアの作曲家ピョートル・チャイコフスキーのロシア語による全3幕のオペラ(1890)。プーシキンによる同名短編小説題材にした作品。

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世界大百科事典(旧版)内のスペードの女王の言及

【チャイコフスキー】より

…1885年2月モスクワ郊外にはじめて自分の邸宅をかまえ,交響曲《マンフレード》を作曲した。この頃から再び充実した創作力を回復し,《交響曲第5番》(1888),《組曲第4番》(1887),バレエ音楽《眠れる森の美女》(1889)と《くるみ割り人形》(1892),オペラ《スペードの女王》(1890。プーシキン原作)と《ヨランタ》(1891),そして《交響曲第6番(《悲愴》)》(1893)など,晩年の名作を次々と生み出した。…

【プーシキン】より

…〈年少の〉小貴族に与えられる名誉は詩人にとって屈辱であった。世俗権力との衝突の中でプーシキンは歴史的な視野を拡大していき,ピョートルの功業をほめたたえつつ,その犠牲になったペテルブルグの小市民の悲劇を描いた叙事詩《青銅の騎士》(1833),ゴーゴリやドストエフスキーの〈ペテルブルグ物〉の先駆けといえる小説《スペードの女王》(1834),レールモントフの《現代の英雄》やトルストイの《戦争と平和》の原型ともなった歴史小説《大尉の娘》(1836)を書いた。妻とフランス士官G.ダンテスとのスキャンダルにまきこまれたプーシキンは,37年1月27日ダンテスとの決闘で致命傷を負い,2日後に37歳の生涯を閉じた。…

※「スペードの女王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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