スメタナ弦楽四重奏団(読み)スメタナげんがくしじゅうそうだん(英語表記)Smetana Quartet

改訂新版 世界大百科事典 「スメタナ弦楽四重奏団」の意味・わかりやすい解説

スメタナ弦楽四重奏団 (スメタナげんがくしじゅうそうだん)
Smetanovo kvarteto

チェコの弦楽四重奏団。プラハ音楽院で室内楽を学んだJ.リベンスキー(第1バイオリン),L.コステツキー(第2バイオリン),V.ノイマンビオラ),A.コホウト(チェロ)の4人で1943年に結成したが,スメタナ四重奏団と名のってデビューしたのは45年。46年暮ノイマンが抜けてリベンスキーがビオラを受け持ち,第1バイオリンにJ.ノバークがはいった。55年ビオラがM.シュカンパに交代。ボヘミアの弦の伝統であるいぶし銀のようにくすんだ音色と,柔らかく練りあげられたアンサンブル特色とし,レパートリーはスメタナ,ドボルジャーク,ヤナーチェクを主とするが,ドイツ,オーストリアの古典派からロマン派まで広く含んでいる。58年に初来日以来たびたび来日して第2次世界大戦後の日本での室内楽の普及にも貢献した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「スメタナ弦楽四重奏団」の意味・わかりやすい解説

スメタナ弦楽四重奏団
すめたなげんがくしじゅうそうだん
Smetana Quartet

チェコの弦楽四重奏団。1940年プラハでチェコ音楽院弦楽四重奏団の名のもとに結成されたが、45年スメタナ弦楽四重奏団と名称を変え、以後、世界第一級の弦楽四重奏団として活躍を続けた。当初は、第一バイオリンがJ・リベンスキー、第二バイオリンがルボミール・コステツキー、ビオラがノイマン、チェロがA・コホウトであった。その後、ノイマンが指揮者になったためリベンスキーがビオラになり、第一バイオリンにJ・ノバークが加わった。リベンスキーの病気退団後ビオラにM・シュカンパが加わった。古典派、チェコの作品に緻密(ちみつ)で完成された技巧、内面性を掘り下げた表現を駆使した演奏を行う。1958年(昭和33)以後しばしば来日している。

[美山良夫]

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百科事典マイペディア 「スメタナ弦楽四重奏団」の意味・わかりやすい解説

スメタナ弦楽四重奏団【スメタナげんがくしじゅうそうだん】

チェコの代表的四重奏団。1943年プラハで〈プラハ音楽院四重奏団〉として結成され,チェコ国民音楽の祖スメタナの名を冠して1945年に楽壇デビュー。その後メンバーの交替があり,初代のビオラ奏者はその後指揮者として名声を得たV.ノイマン。すべてのレパートリーを暗譜で演奏することでも知られ,スメタナ,ドボルジャークヤナーチェクなどチェコの作曲家の演奏で絶妙なアンサンブルを聴かせたほか,モーツァルトやベートーベンにも名演を残した。1958年に初来日。1989年解散。→スーク

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デジタル大辞泉プラス 「スメタナ弦楽四重奏団」の解説

スメタナ弦楽四重奏団

チェコの弦楽四重奏団。1943年にプラハ音楽院四重奏団の名称で結成。1945年にチェコ国民音楽の祖スメタナの名を冠する現名称でデビューした。のちに指揮者として有名になったヴァーツラフ・ノイマンが初代ビオラ奏者を務めたことで知られる。

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