セティ(読み)せてぃ(英語表記)Seti Ⅰ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セティ」の意味・わかりやすい解説

セティ
Search for Extra-Terrestrial Intelligence; SETI

地球外文明探査計画。太陽系以外の恒星系惑星に存在するかもしれない,高度な文明をもった宇宙人の通信を傍受しようとする活動。 1960年,アメリカの F.ドレークは,直径 26mの電波望遠鏡により,太陽系からおよそ 10光年の距離で,太陽に比較的近い年齢の星2つ (エリダヌス座イプシロン星とくじら座タウ星) を選び,3ヵ月間,通算 151時間受信を試みたが失敗に終った (オズマ計画 ) 。また同様の活動に CETI (セチ。地球外知的生物との交信) があり,74年,アメリカの C.セーガンらは,プエルトリコのアレシボ電波天文台の 305m電波望遠鏡で,3分間にわたりヘルクレス座の球状星団 M13にメッセージを送った。これは M13に到着するまで2万 4000年もかかる壮大な計画である。また,電波によらない CETIとして,太陽系を脱出する惑星探査機のパイオニアボイジャーに積んだ,宇宙人へのメッセージプレートやレコード盤などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「セティ」の意味・わかりやすい解説

セティ(1世)
せてぃ
Seti Ⅰ

生没年不詳。古代エジプト第19王朝の2代目の王(在位前1308ころ~前1294ころ)。セトスSethosと表記されることもある。第18王朝の最後の王ホルエンヘブの治世に、セト神に奉仕する祭司として枢要な役割をもっていた彼は、父のラムセス1世が第19王朝を開くとともに共治の王子として指名された。1年半の短い治世でラムセス1世が死去したので即位し、セティ1世となった。この王名は「セト神の従者」を意味する。もともとセト神には善なるオシリス神を滅ぼしたものという神話があり、その結果、砂漠(不毛)の神とみなされていたが、第19王朝ではこの神は新たな性格をもち、オアシス(生産)の神となった。セティ1世はパレスチナにエジプトの威信を確立し、北方ヒッタイトと平和条約を結んだ。テーベの彼の墓は、岩盤の中に100メートル以上の長さにわたって掘られたもので、多くの通廊と室、その壁面と天井を飾る信仰と天文の絵は、建築と絵画の豪華さをいまもとどめている。

[酒井傳六]


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