翻訳|Seychelles
基本情報
正式名称=セーシェル共和国Republic of Seychelles,République des Seychelles
面積=455km2
人口(2010)=9万人
首都=ビクトリアVictoria(日本との時差=-5時間)
主要言語=英語,フランス語,クレオール語
通貨=セーシェル・ルピーSeychelles Rupee
アフリカ大陸東岸約1700km沖のインド洋上にある同名の諸島を中心に構成される共和国である。
100以上を数える島々は二つに大別できる。一つはマダガスカル島とインド洋中央海嶺の間にあるマスカリン海嶺の北端部に散らばるカコウ岩質の島群で,マエーMahé島(144km2。最高点は905m),プラスラン島,シルエット島などを含み,総面積は約230km2である。諸島中最大のマエー島には総人口の約80%が集中する。もう一つは南西方の支海嶺上に散らばる多数の低いサンゴ礁島群である。海洋性赤道気候下にあり,気温は一年を通じて26℃前後,年降水量は2000~3000mmに及び,1月を中心とする北西季節風期に極大を示す。7月を中心にした季節には南東季節風が吹く。インド洋のサイクロンの来襲がきわめて少ないのは好条件である。
執筆者:戸谷 洋
その歴史上のいきさつから,ポリネシア系,インド系,アフリカの黒人系,さらにヨーロッパ系の住民の混血がすすみ,顔だち,髪の毛,皮膚の色,眼の色など多様である。これらのクレオールとよばれる混血の人々が人口のほとんどを占めるが,そのほか商業に従事するインド人や中国人が少数居住している。植民地時代のなごりで,フランス語と英語の2ヵ国語と,さらにクレオール語とが国語として定められている。住民の90%がカトリック教徒で,8%が英国国教会に属する。そのほか,イスラム教徒やヒンドゥー教徒も少数いる。
執筆者:赤阪 賢
セーシェル諸島に7~8世紀ころからアラブが来航した記録があるが,それ以前は不明である。バスコ・ダ・ガマの第2回東インド航海(1502)の際,インド洋上でのアラブの活動が目撃,記録されている。17世紀には同諸島は海賊の基地として使われた。1742年に当時はフランス領であったモーリシャス島のマエー総督の命令で探検隊が派遣され,最大の島をマエー島,諸島全体を当時のフランスの蔵相の名にちなんでセーシェルと名づけた。56年正式にフランス領となったが,94年イギリス海軍に占領され,1814年のパリ条約でイギリス植民地となった。イギリスは同じパリ条約で獲得したモーリシャス島とともに諸島を統治した。72年セーシェル諸島に独自の行政審議会,立法審議会が設置され,1903年にはイギリスの直轄植民地となり総督が置かれた。第2次大戦後,70年の制憲会議を経て,セーシェル民主党(SDP)党首マンチャムJames Mancham(1939- )が自治政府の首相になった。しかし国連は選挙を実施せず任命によったこの措置に反対し,イギリスからの完全独立を主張する社会主義的なセーシェル人民連合党(SPUP)のルネFrance Albert René(1936- )を支持した。75年の制憲会議で両党の連立が合意され,76年の制憲会議で独立憲法が採択され,76年6月28日独立した。
独立後マンチャム大統領,ルネ首相の下に共和制を採り,SDP,SPUPの連立がつづいた。しかし77年6月,マンチャムがロンドンでのイギリス連邦会議に出席中ルネがクーデタを起こし,新大統領となった。憲法が停止され,議会は解散された。78年6月SPUPはセーシェル人民進歩戦線(SPPF)と改称,一党制に移行した。さらに79年3月社会主義を志向する新憲法が発布された。81年南ア共和国の傭兵による政府転覆が企てられたが失敗した。82年と83年にも南ア共和国の傭兵による侵攻の企てがあったが実現しなかった。84年ルネは大統領に再選され,同時に国家元首,軍総司令官を兼ね権力をいっそう掌握し,社会主義路線を推し進めている。89年ルネ大統領は3選された。冷戦終結後の政治的民主化の潮流の中で,ルネ大統領は91年12月に複数政党制を導入した。ついで93年6月に制定された新憲法の下で同年7月に大統領選挙と国政選挙が実施され,ルネ大統領が4選され,SPPFが22議席中21議席を獲得した。
選挙後,政府はこれまでの社会主義路線から自由経済路線へと方向を転換し,セーシェルを〈オフショア〉の金融・商業センターに変えていくことを目指している。また94年には国営の港湾施設を民営化し,香港のような無関税貿易地域の創設を明らかにした。さらに観光,農業,水産物加工部門でも民営化が進んでいる。ルネ政権は非同盟主義を採り,西側諸国(特にEC諸国)ともソ連とも友好関係を保ち,またリビア,イラク,アルジェリア,北朝鮮とも緊密な関係をもっている。
島嶼であるため耕地は限定され,地味も悪く,住民の食糧の大部分を輸入に頼っている。輸出農産物としてコプラ,ニッケイ,バニラなどがある。漁業は盛んであるが,ほとんどは伝統的漁法に依存している。1978年政府は国営漁業公社を設立して漁法の近代化に乗り出した。観光業は国家の重要な歳入源で,外貨収入の約70%,国内総生産の約50%を占めている(1988)。1971年マエー島に国際空港が完成し,現在毎年約8万人の観光客がある。さらに政府は観光に必要な道路,輸送施設の拡充をはかり,世界銀行をはじめ国際金融機関から融資を得ている。工業はほとんどなく,ビール醸造,プラスチック加工などわずかである。産業の主要部門に対し政府は株式の過半数を取得しているが,外資の導入には積極的である。
執筆者:林 晃史
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