翻訳|time capsule
現代文明の成果を,時間の推移と切り離して容器づめにし,未来(例えば5000年後)まで保存し,未来人の現代解明の手がかりにしょうとするもの。
古代エジプトの王墓や神殿など,考古学的・歴史学的遺跡は,ある種のタイム・カプセルとみることができる。1939年のニューヨーク万国博で,世界第1号のタイム・カプセルを製作したアメリカのウェスティングハウス社は,その趣意書に〈5000年前のエジプト王朝の文化を現在われわれが研究するように,5000年後の未来人がわれわれを研究するだろう時のために〉という意味を述べている。
ウェスティングハウス社は,5000年の歳月と,想像されうるあらゆる事態に耐えるカプセルの開発に力を注ぎ,〈キューパロイ〉と名づけられた高張力ステンレス合金でできた,高さ2.3m,太さ15cmの魚雷型カプセルを作った。筒の内側には熱に強いケイ酸ガラスを張りめぐらして,腐食や圧力による変形が起きないようにくふうし,さらにさびや湿気から内部に収めた品物に変質が起きないよう,密封してから一度内部の空気を抜いて真空にしたうえ,万年筆,時計,電球,煙草,化粧品,眼鏡,カメラなどの日用品,金,銀,銅,鉄,アルミニウムなどの金属類,羊毛,木綿,絹,レーヨン,合成繊維などの繊維製品,セメント,ゴム,プラスチックなどの工業用原料,そのほか代表的な書物,百科事典,聖書,絵画,新聞などのマイクロフィルムとニュース映画フィルムなど,その当時の生活・文化の水準がひと目でわかるようなものが入れられた。
このカプセルはニューヨーク万国博会場のウェスティングハウス館の地下15mに鉄パイプとコンクリートであらかじめ作っておいた縦穴に埋蔵された。さらに同社では,この事実を確実に後代に伝えるために,タイム・カプセルの意義からその構造,内容物,カプセルの開け方,埋蔵場所などを克明に説明したパンフレットを作製し,それを各国の主要大学図書館,文化研究団体に送って保存を依頼した。このパンフレットには,長い年月の間に起こるだろう言語や文字の変遷をも配慮し,一定年月ごとにその時代のことばに翻訳して同時に保管するように送り先に依頼した。
第2号は65年のニューヨーク世界博に作られたもので,第1号と同じウェスティングハウス社製。中には1号以後の科学・技術の成果,すなわち原子力,テレビ,テープレコーダー,コンピューターなどのエレクトロニクスをはじめ,宇宙科学,医学,生物学その他の新しい研究成果が,情報のかたちで収められた。同形模型は,現在でもニューヨーク郊外の会場跡地の公園に残っている記念館内で見ることができる。
第3号は70年の大阪万国博に作られたものである。実は,それ以前に日本で2回にわたってこの種の試みがなされている。最初は1940年に新聞之新聞社が紀元2600年を記念して長野県蓼科山に建設した〈文化楼〉,2回目が51年信濃毎日新開社が長野市城山に作った〈ペンの倉〉で,それぞれ100年後,70年後に開く予定。
大阪万国博の第3号は,〈タイム・カプセルEXPO’70〉が正式名称で,松下グループが製作し,松下館の主展示物であった。カプセル本体は高さ1.3m,内容積50万cm3,重量1.6tの球体で,ステンレス鋳鋼製,内部を気密構造にするため二重ぶたになっていた。収納物はサラリーマンの1日と一生,日本の四季を絵巻物形式に記録した《現代人間絵巻》,日本および世界の地形,地質,社会,産業,公害など広範囲の問題を収録した《アトラス日本と世界》,各種の種子,宇宙開発の資料,原子爆弾被災遺物,カやハエの標本,現代人の表情を写したフィルム,漫才,落語,動物の声などの録音,現代文学作品,美術,音楽,映画などの70年代の文化遺産というべきもの合計2068点に及んだ。埋設に当たって,収容物を一つ一つ殺菌,消毒し,カプセル内を29室に分新て同質のものをまとめ,カプセル内にアルゴンガスを充てんして密封された。71年大阪城公園内の天守閣前広場の地下15mに埋設されたが,2個用意されており,1個は6970年まで開かれず,もう1個は30年後の21世紀の初めに開かれ,以後100年ごとに開かれて経年変化が調査される予定になっている。
執筆者:林 雄二郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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