古代ギリシアの作家ロンゴスによって後2~3世紀ごろ書かれたと伝えられる牧歌的小説。物語の舞台はレスボス島に設定され,全4巻から成る。捨てられていた男の子ダフニスと,これも同じく捨子の女の子クロエが,それぞれ島の牧人に拾われて成長し,年ごろになるにつれて互いに愛しあうようになる。そこに海賊が現れダフニスは連れ去られそうになり,また戦争がおきて敵の船にクロエがさらわれ,二人の間に危機がおとずれる。ようやく救出されたクロエに今度は別の求婚者が現れたりしてさまざまな波乱がおこるが,最後には二人とも身分の良い家柄の生れであったことが判明し,めでたく結ばれる。この作品は牧歌的な雰囲気が特徴的で,抒情性に富んでいるが,同時に構成も緊密で,他の同時代の小説と違った独特のものとなっている。ベルナルダン・ド・サン・ピエールやゲーテなど近代の作家たちにも大きな影響を与えている。
執筆者:引地 正俊
上記の物語に基づく音楽作品では,M.ラベルのバレエ音楽《ダフニスとクロエDaphnis et Chloé》(1912,1幕3場)が有名である。ディアギレフのバレエ・リュッスの委嘱,フォーキンの台本・振付で1912年初演。しかしバレエとしては成功せず,作曲者自身の編曲による第1組曲(1911,《夜想曲》《間奏曲》《戦いの踊り》),第2組曲(1913,《夜明け》《無言劇》《全員の踊り》)として知られる。ラベルは原作の物語から〈私のうちにあるギリシアに忠実であるような音楽の巨大な壁画を作曲〉(《自伝素描》)しようとした。したがって音楽は原作の筋の進みぐあいと必ずしも一致しない。母音を歌う合唱,古代ギリシアに由来するといわれるクロタル(古代風小型シンバル)などを加えた大編成の管弦楽は,この巨大な壁画を描くラベルの重要なパレットの役割を果たしている。同じ原作による作品として,他にグルックのフランス・オペラ《包囲されたキュテラ島》(1759),J.J.ルソーの未完のオペラ《ダフニスとクロエ》(1779)などがある。
執筆者:小場瀬 純子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
古代ギリシアの恋愛小説。2世紀ごろロンゴスが書いたと伝えられる。全四巻。舞台はエーゲ海のレスボス島の田舎(いなか)。山羊(やぎ)飼いに拾われた捨て子の男の子がダフニスの名で育てられ、2年ほどのち、今度は隣の牧場に捨てられていた女の子が羊飼いにみつけられ、クロエと名づけられる。成長した2人は互いに想(おも)いを寄せ、あどけない口づけを交わすようになるが、平和な田園の四季の生活に波瀾(はらん)が起こり、ダフニスが海賊にさらわれそうになったり、戦争で敵がクロエを連れ去ったりする。危うく助けられたクロエに、今度は別の求婚者が現れ、さまざまの危機があるが、結局ダフニスは証拠の品からりっぱな農園主の息子であり、クロエも身分のよい娘であることが判明し、2人はめでたく結ばれる。この作品には古代の物語に共通する要素も多いが、舞台に統一性があり、基調となる牧歌的雰囲気など、他の同時代の小説にはみられない独自の味をもっている。ゲーテをはじめとして近代にも広く愛読され、同名のラベルのバレエ音楽やサン・ピエールの小説『ポールとビルジニー』など、古代の小説のなかでは後世に与えた影響がもっとも大きい。
[引地正俊]
この物語は、ロシア・バレエ団のディアギレフによって舞踊化され、フランスの作曲家ラベルに音楽を依頼、1912年パリで、ピエール・モントゥー指揮、フォーキンの振付け、ニジンスキーとカルサビナの主演で初演された。ラベルの音楽は、単なるバレエ用というよりも、むしろ多彩な管弦楽法を駆使した交響詩とでもよぶべきものであり、これから演奏会用の組曲が二つ編まれている。第一組曲はバレエより早く1911年に、第二組曲は13年に初演された。
[三宅幸夫]
『呉茂一訳『ダフニスとクロエー』(『世界文学大系64』所収・1961・筑摩書房)』
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…革命期から第一帝政期にかけては,砲兵士官として陸軍に勤務するかたわら,古代ギリシアの文学を研究し,イソクラテス等の作品を翻訳した。1809年フィレンツェの図書館でロンゴスの《ダフニスとクロエ》の未刊の断片を発見したが,その一部をインクで汚してしまった。それが故意にやったしわざだと言って非難され,論争がわき起こった。…
… 1910年代から20年代にかけて,ディアギレフの主宰する〈バレエ・リュッス〉のために,現代音楽の新しいイズムをもったバレエ音楽が相次いで創造される。ストラビンスキーの《火の鳥》(1910)と《ペトルーシカ》(1911)と《春の祭典》(1913),J.M.ラベルの《ダフニスとクロエ》(1912),ドビュッシーの《遊戯》(1912)などである。一方,同じ時期に発表されたファリャの《恋は魔術師》(1915)と《三角帽子》(1919)は,民族的色彩の濃いバレエ音楽として知られる。…
…この成功によりディアギレフはパリの芸術社会で注目を浴び,多くの才幹がその周囲に集まったばかりでなく,バレエ・リュッスの作品に進んで協力することになった。その結果生まれたのが詩人ボードアイエJean Louis Vaudoyer(1883‐1963)の提案による《バラの精》(1911),J.コクトー台本の《青い神》(1912)であり,《ダフニスとクロエ》(1912),《遊戯》(1913)には,それぞれラベル,ドビュッシーが新曲を書き下ろしている。しかしこの時期においては上演作品の主流はロシア・エキゾティシズムであり,ストラビンスキーはそのディアギレフの意図を踏まえて《火の鳥》(1910),《ペトルーシカ》(1911),《春の祭典》(1913)を作曲し,新進作曲家として世に出た。…
…しかしバレエ・リュッスのパリ公演を企画したディアギレフはこの改革案に共感し,1909‐12年,14年のバレエ・リュッスの演目のほとんどをフォーキンに委嘱する。この時期に《レ・シルフィード》(1909),《ペトルーシカ》(1911),《ダフニスとクロエ》(1912),《金鶏》(1914,音楽はリムスキー・コルサコフ)など,20世紀バレエの幕開けを告げる名作がつくられた。これらは〈すべてのバレエはその主題と音楽に即した動きを与えられるべきで,古典舞踊のステップの濫用はさけなければならない〉という彼の主張を具現したものである。…
…生没年不詳。その生涯についてはほとんど何もわからず,作品も《ダフニスとクロエ》の題で知られる小説がひとつ残されているだけである。作品の舞台がレスボス島になっていることから,レスボス島の出身と考えられている。…
※「ダフニスとクロエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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