デジタル大辞泉 「ラベル」の意味・読み・例文・類語
ラベル(label)
[類語]レッテル・札・券・荷札・名札・貼り札・貼り紙・付箋・鑑札・伝票・証票・証紙・割り符・票・ステッカー・ゼッケン・シール・ワッペン・カード・タグ・ネームプレート
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フランスの作曲家,ただし父親はスイス人技師,母親はバスク系フランス人。生後3ヵ月で家族ともどもパリに移る。音楽を好んだ父親の配慮で幼時から音楽教育を受け,1887年パリ音楽院に入学,97年にはフォーレの作曲法の級に進む。それ以前にたとえばピアノ曲《むかし風のメヌエット》(1895)を作曲したし,99年に《逝ける王女のためのパバーヌ》,1901年《水の戯れ》,02-03年は弦楽四重奏曲,管弦楽伴奏の歌曲集《シェエラザード》を書くといったぐあいで,20代後半には早くも個性的な語法・様式を確立していた。それは根底で古典主義的な完成を理念として目ざし,したがってフランス芸術の伝統に背を向けるものでなかったが,当時とすれば際だって斬新な和声を響かせたために,ラベルは危険な前衛と目され,05年ローマ賞コンクールへの参加を拒まれるにいたる。これが問題化して,音楽院院長がT.デュボアからフォーレへと更迭された。この05年にラベルは,ピアノのための《ソナチネ》とピアノ曲集《鏡》,ハープと室内合奏のための《序奏とアレグロ》を書き上げる。ラベルのうちの古典主義を《ソナチネ》が,描写的な音感覚を《鏡》が,装飾的感性を《序奏とアレグロ》が,うかがわせるといってもいいだろう。しかも,そのどれもが同じラベルに違いなく,書法の名人芸,豊かな和声を実現する鋭く果敢な耳,微小な細部まで仕上げをゆるがせにしないメチエ(技巧)の練達が,つねに光彩を放っている。
《鏡》の先に《夜のガスパール》(1908)がある。これはA.ベルトランの詩の幻想に寄せた3章のピアノ曲で,ほとんどソナタの規模をもつ。《ソナチネ》がウィーン古典派へのオマージュだとすれば,《クープランの墓》(1917)はフランス古典派クラブサン音楽へのそれであろう。後者はラベル自身の手で管弦楽に編成されてバレエ曲となるが,同じなりゆきをみるのが,連弾曲《マ・メール・ロア》(1910)と,ピアノ曲《高雅で感傷的なワルツ》(1911)である。舞曲と舞踏のリズムへの強い関心は,オリジナルのバレエ曲をむろん彼に書かせた。《ダフニスとクロエ》(1912),《ラ・バルス(ワルツ)》(1920),《ボレロ》(1928)など。これらの曲には,歌曲集《シェエラザード》や管弦楽組曲《スペイン狂詩曲》(1908)に彼が駆使した明確・華麗で創意豊かな管弦楽法の,いっそう洗練された名人芸を,聴くことができる。そして名人芸といえば《チガーヌ》(バイオリンとピアノ。1924)はバイオリンの,《夜のガスパール》,2曲のピアノ協奏曲(《左手のための》1930,《ト長調》1931)はピアノの,それぞれ名人芸を高度に要求する作品である。
《ダフニスとクロエ》で和声的な豊熟の頂点に達したラベルの書法は,《ピアノ三重奏曲》(1914)を転機として線的な意匠に向かう傾きをしだいに示し,バイオリンとチェロの《ソナタ》(1922)でことにそれが著しい。《バイオリン・ソナタ》(1927)にはジャズへの興味がブルー・ノートの採用に反映され,その興味は前記協奏曲2作にもみてとれる。
歌曲では,《博物誌》(詩ルナール。1906)で皮肉なユーモアと〈パルランド(話すよう)〉な歌わせ方とを効果的にたずね,《マラルメの三つの詩》(1913)で調性を脅かすかのような急進的な書法を試みている。一方,ヘブライほかの民謡を素材とした歌曲が,直截な歌をきかせる。晩年の2歌曲集,《マダガスカル人の歌》(1926)と《ドゥルシネーアに心を寄せるドン・キホーテ》(1933)は,いわばそれらの総合でもあろうか。オペラ《スペインの時間》(台本フラン・ノアン。1909)には,《博物誌》の語り口の延長とスペイン趣味(リズムと民謡風旋律)との巧みな混交がおもしろく,ファンテジー・リリック《子どもと魔法》(台本コレット。1925)には,幼い日々の詩情を基調にもつ点で《マ・メール・ロア》と通じるものがある。
ラベルは,個人的な感情の露出を嫌って,形態の精確さ完璧さを求め,そのためにメチエをとりわけ重んじた音楽家だった。そんな彼を〈スイスの時計職人〉になぞらえる(ストラビンスキー)のが,まちがっているとはいわないが,その職人気質とされるものが,作品の構造的な多様性を統一すると同時に自己自身をも厳しく批評的にみつめる自意識の働きと,実は表裏になっていることをみすごすとしたら,片手落ちといわなければならないだろう。かつて危険な前衛と目されたラベルを,20世紀はやがてアカデミズムの一翼に組み込んだが,その〈栄光〉のかげにラベルの自意識のドラマは,若干おきざりにされ,忘れられた感がなくもない。晩年は,失語・失行症に苦しみ,脳の手術を受けたがまもなく他界した。
執筆者:平島 正郎
商品名,商標,商号などを表示して商品に付したはり札や印刷物の総称。表示事項は商品によってさまざまであるが,内容,品質,成分,使用法,寸法・量,製造年月日,製造・発売者名,製造番号,原産国表示などである。とくに食品,薬品,化粧品のラベルは食品衛生法や薬事法などに基づいて表示事項が厳しく定められている。表示方法ははり付け,縫付け,商品・容器への直接印刷や焼付けなどさまざまである。ラベルの起源は,古代エジプトでブドウ酒を蓄える壺の栓に,その品質を表示した刻印を施したことに始まる。その後,社会・経済の発展とともに変遷を経て,19世紀ヨーロッパで広告効果が認められるに伴い,しだいに慣行化した。日本では〈レッテル〉という言葉がオランダ語letterからの外来語として明治以降使われるようになり,〈ラベル〉といわれるようになるのは,昭和期に入ってからである。現代ではラベルはパッケージ・デザインの一環として,購買時点の広告効果(POP効果)を強めるためにより強い印象や美しいデザインが要求されるとともに,そのつくり出すイメージはそのまま企業イメージに直結するので,コーポレート・アイデンティティにおける重要な表現物となっている。レコードのラベルを〈レーベル〉と呼んで,むしろ会社名やブランド名を意味するように,ラベルはロゴタイプやシンボルマーク以上に現代企業の紋章として働いているともいえよう。
執筆者:島守 光雄+小倉 重男
フランスの哲学者。1932-34年パリ大学教授,41年以降コレージュ・ド・フランス教授を歴任。ル・センヌとともに,唯心論的伝統を継承する〈精神の哲学〉の担い手。精神の特質すなわち〈働きacte〉において,われわれは根源的な存在すなわち無限な〈純粋活動acte pure〉に分与しているとし,精神的な本質の獲得へむかうとする内面性の学としての形而上学を展開した。著作には《永遠の現在の弁証法》4巻(1928-45),《全体的現在》(1934)ほかがある。
執筆者:木田 元
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フランスの作曲家。3月7日、スペイン国境に近いバスク地方に生まれる。音楽愛好家の父の勧めで7歳よりピアノを習い、1889年、14歳でパリ音楽院のピアノ予備科に入学する。同年、パリ万国博覧会でアジアやアフリカの異国情緒豊かな音楽に触れ、この経験は、彼が母から受け継いだバスク人の血と相まって、彼の音楽に深い影響を残した。97年からフォーレに作曲を、ジェダルジュに対位法を学ぶ。この時期、ラベルは師フォーレとエリック・サティに大きな感化を受ける。そして98年『耳で聞く風景』で楽壇にデビュー、ピアノ曲『亡(な)き王女のためのパバーヌ』(1899)など異国情緒あふれる個性的な作品を発表する。しかし批評家からはあまり認められず、ローマ賞コンクールには四度とも大賞を獲得できなかった。当時、彼はすでに新進作曲家としての地位を確立し始めていたので、この落選結果は世論の追及の的となり、パリ音楽院の院長らの辞職にまで発展する。彼に対する反感から審査員が不当な評価をしたというのが真相のようである。一方、このころ彼はピアノ曲『水の戯れ』(1901)、弦楽四重奏曲(1902~03)を発表し、新たな世代の作曲家としての名声を獲得し、文学、芸術サロンの寵児(ちょうじ)ともなる。この時期、生涯にわたって尊敬することになるドビュッシーと出会う。そして、ドビュッシーの崇拝者、詩人トリスタン・クリングゾルの詞を伴った管弦楽付き歌曲『シェエラザード』(1903)を発表した。
その後、第一次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)までに、ピアノ曲『鏡』(1904~05)、『夜のガスパール』(1908)、オペラ『スペインの時』(1907~09)、ディアギレフの依頼によるバレエ作品『ダフニスとクロエ』(1909~12)、管弦楽曲『スペイン狂詩曲』(1907~08)、『道化師の朝の歌』(1918)、ピアノ三重奏曲(1914)、歌曲集『博物誌』(1906)などの秀作を次々と生み出す。のちにストラビンスキーによって「スイス時計のように精密」と評されることになるラベルのきわめて明晰(めいせき)で分析的な構築力、精緻(せいち)で微細な客観性は、このころ完成されたといってよいだろう。この特徴は、朗々と歌い上げることよりも、ひそかに語りかけるようなスタイルの歌曲に顕著に現れている。
1914年、第一次大戦勃発。2年間の野戦病院での体験、加えて17年の母の死は、彼に大きな打撃を与えるが、大戦後は活力みなぎる文化状況に鼓舞され、ラベルはジャズの影響を受けた新たな局面を強調するようになる。一幕の幻想劇『子供と魔法』(1920~25)、バイオリン・ソナタ(1923~27)、左手のためのピアノ協奏曲(1929~30)、ピアノ協奏曲(1929~31)にみられる荒々しいシンコペーション、ブルー・ノート(ブルースの独特な旋法)の使用は、その好例であろう。しかし、彼より若い新古典主義、新即物主義的作曲家と異なり、ジャズの素材は「時計細工」のような職人芸的書法のなかで処理されている。
1927~28年、約5か月間のアメリカ演奏旅行ののち、彼の作品中もっとも有名な『ボレロ』が作曲され、28年パリのオペラ座で初演、大成功を収めた。
1932年の自動車事故で受けた頭部の傷がもとで、37年の死までの5年間、創作を行えないばかりか、廃人同様の状態にまで悪化し、不幸な最後を終えた。なお彼には編曲作品も多く、とくにクーセビツキーの依頼によるムソルグスキーのピアノ曲『展覧会の絵』の管弦楽編曲(1922)は有名である。
[船山 隆]
『H・ジュルダン・モランジュ著、安川加寿子・嘉乃海隆子訳『ラヴェルと私たち』(1968・音楽之友社)』▽『V・ペルルミュテール、H・ジュルダン・モランジュ著、前川幸子訳『ラヴェルのピアノ曲』(1970・音楽之友社)』▽『G・レオン著、北原道彦訳『ラヴェル』(1974・音楽之友社)』▽『諸井誠著『わたしのラヴェル』(1984・音楽之友社)』▽『H・H・シュトゥッケンシュミット著、岩淵達治訳『モリス・ラヴェル――その生涯と作品』(1983・音楽之友社)』
フランスの哲学者。南フランスのビュレアルで生まれる。1909年哲学の教授資格を得た。1916年より第一次世界大戦に2年間従軍し、捕虜生活もした。1932~1934年ソルボンヌ大学(パリ大学)、1941年よりコレージュ・ド・フランスの教授となり、1947年よりアカデミーの会員に選出された。現代において形而上(けいじじょう)学を問い直し、「分有」(パルティシパシオン)の哲学を主張、人間性とモラルの回復を呼びかけた。実存として不安と虚無を超えて存在についての信頼が取り戻されるべきであるとし、「存在の優位」と、自由に基づく「存在の分有」の行為を説いた。『永遠の現在の弁証法』全5部(1928~1955)、『自我の意識』(1933)、『全体的現前』(1934)、『価値論』全2部(1951~1952)などがある。
[池長 澄 2015年6月17日]
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…しかしドビュッシーが作曲家として地位を確立してゆくのに伴い,この用語から否定的なニュアンスは失われていった。やがて〈印象主義音楽〉とは,ロマン主義の一帰結である感覚主義に立ち,アカデミーが非難に値すると見た色彩性の強調などを,かえって進んで特色とする様式であって,ドビュッシーやラベルの作品中にその典型的な表れがあるとされた。 印象主義音楽は,ふつう次のような技法上の特徴を示すといわれる。…
…黒人大衆音楽の代名詞ともなったが,第2次大戦後は差別的なraceをやめ,黒人大衆音楽はリズム・アンド・ブルースと呼ばれる)とポータブル・プレーヤーを持ち帰り,ジャズ・イディオムを用いた最初の作とされるバレエ曲《世界の創造La création du monde》(1923)を書いた。ジャズに熱狂していたコクトーやオーリック,ミヨーらの熱がやがてさめだしたころ,ラベルがまじめにジャズを研究し始める。彼の《バイオリン・ソナタ》(1927)の第2楽章はブルースであった。…
…ベルナルダン・ド・サン・ピエールやゲーテなど近代の作家たちにも大きな影響を与えている。【引地 正俊】
[音楽]
上記の物語に基づく音楽作品では,M.ラベルのバレエ音楽《ダフニスとクロエDaphnis et Chloé》(1912,1幕3場)が有名である。ディアギレフのバレエ・リュッスの委嘱,フォーキンの台本・振付で1912年初演。…
…楽曲は(1)小人,(2)古城,(3)チュイルリ(遊んだ後の子どものけんか),(4)ブイドロ(牛),(5)卵の殻をつけたひなどりのバレエ,(6)2人のユダヤ人(太ったのと瘦せたの),(7)リモージュの市場,(8)カタコンベ,(9)鶏の足の上に建っている小屋,(10)キエフの大門,の構成になっている。色彩感と表現に富むこの作品に対して,多くの管弦楽編曲が試みられたが,1922年,クーセビツキーの委嘱でJ.M.ラベルが行った編曲が最も有名で,オーケストレーションの技巧を駆使した色彩豊かで優れた構成感をもつこの編曲は,近代の管弦楽の頂点に位置するものの一つである。【西原 稔】。…
…第3は,1660年より1760年に至るベルサイユ楽派の時代。そして第4は,フォーレ,ドビュッシー,ラベルを頂点にいただく1860年以後の1世紀である。これは一つの見方にすぎぬかもしれないが,フランス音楽がヨーロッパにあって最も古く輝かしい歴史を誇る音楽の一つであることは,語ってくれるだろう。…
…生地でM.モシュコフスキに,次いでパリ音楽院でA.コルトーに師事。1927年M.ラベルの知遇を得,その全ピアノ作品を作曲家自身から学びつつ深く研究し,とくにその演奏によって高く評価された。また後年ジュルダン・モランジュHélène Jourdan‐Molangeとのラジオ対談をもとに共著《ラベルのピアノ曲Ravel d’après Ravel》(1953。…
※「ラベル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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