ラベル

デジタル大辞泉 「ラベル」の意味・読み・例文・類語

ラベル(label)

商標・品名・分類記号・宛先などを表示するために品物や容器などに貼る紙片。レッテル。レーベル。
[類語]レッテル荷札名札貼り札貼り紙付箋鑑札伝票証票証紙割り符ステッカーゼッケンシールワッペンカードタグネームプレート

ラベル(Maurice Joseph Ravel)

[1875~1937]フランスの作曲家。古典的な形式美をもとに、華麗な管弦楽法や異国情緒による独自の作風を確立した。作品に、管弦楽曲「ボレロ」、ピアノ曲「クープランの墓」、バレエ音楽「ダフニスとクロエ」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ラベル」の意味・読み・例文・類語

ラベル

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] label )[ 異表記 ] レーベル 商標や広告を印刷して商品などに貼ってある紙片。レッテル。また、分類番号や取扱い上の注意などを書いて品物に貼るための紙片。貼り紙。
    1. [初出の実例]「ラベルのつかないばらばらの断片」(出典:映画雑感(1930‐35)〈寺田寅彦〉四)
    2. 「ウィスキーのラベルをぼんやり眺めていたりした」(出典:莫邪の一日(1951)〈梅崎春生〉是好日)

ラベル

  1. ( Maurice Ravel モーリス━ ) フランスの作曲家。パリ音楽院に学び、十代から天才を発揮。フォーレ、シャブリエ、詩人のマラルメなどに影響されながら、優雅で、明るい光彩を放つ楽曲構成やオーケストレーションで、近代音楽に独自の世界を開いた。代表作は「ボレロ」のほか、ピアノ曲「夜のガスパール」、バレエ音楽「ダフニスとクロエ」など。(一八七五‐一九三七

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百科事典マイペディア 「ラベル」の意味・わかりやすい解説

ラベル

フランスの作曲家。スイス人の父とバスク系フランス人の母の間にバスク地方のシブールで生まれ,生後3ヵ月でパリに移る。1889年,14歳でパリ音楽院に入学し,22歳のときからフォーレの作曲クラスに学ぶ。また1889年のパリ万国博覧会ではドビュッシー同様ガムラン音楽(ガムラン)に衝撃を受け,リムスキー・コルサコフの指揮するロシア音楽に心躍らせた。シャブリエサティ,ドビュッシーなどの影響を独自に消化し,《弦楽四重奏曲》(1902年−1903年),ピアノ曲《鏡》(1904年−1905年)などを完成,20代後半で早くも成熟した音楽語法を掌中にした。以後,演奏旅行のほかはパリで過ごし,教職にはつかず独身で通した。初期のピアノ曲《水の戯れ》(1901年)などで印象主義的な書法を示しはしたが,その音楽の本質はより古典主義的な造形感覚に根ざし,新鮮な和声とリズム,乾いたユーモア,巧みな管弦楽法などが渾然(こんぜん)と溶け合った完成度の高い特有の音楽世界をつくりだしている。後年はジャズの語法も採用した。代表作に,オペラ《子供と魔法》(1920年−1925年,台本コレット),それぞれディアギレフルビンシテインの委嘱によるバレエ音楽《ダフニスとクロエ》(1909年−1912年),《ボレロ》(1928年)などのバレエ音楽,管弦楽曲《スペイン狂詩曲》(1908年),ピアノ曲《夜のガスパール》(1908年),《クープランの墓》(1914年−1917年),歌曲集《マラルメの3つの詩》(1913年),2つのピアノ協奏曲(《左手のための》1929年−1930年,《ト長調》1929年−1931年),《バイオリンとチェロのためのソナタ》(1920年−1922年)などの室内楽曲がある。→展覧会の絵ニジンスカ
→関連項目エネスコカステルヌオーボ・テデスコカセラクーセビツキーコントラファゴットサイド・ドラム弱音器ストラビンスキーディリアスハバネラピッコロファリャフォーキンフランセフランセスカッティベジャールボレロボーン・ウィリアムズモントゥーラモーレイボビッツロンロンゴス

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改訂新版 世界大百科事典 「ラベル」の意味・わかりやすい解説

ラベル
Maurice Ravel
生没年:1875-1937

フランスの作曲家,ただし父親はスイス人技師,母親はバスク系フランス人。生後3ヵ月で家族ともどもパリに移る。音楽を好んだ父親の配慮で幼時から音楽教育を受け,1887年パリ音楽院に入学,97年にはフォーレの作曲法の級に進む。それ以前にたとえばピアノ曲《むかし風のメヌエット》(1895)を作曲したし,99年に《逝ける王女のためのパバーヌ》,1901年《水の戯れ》,02-03年は弦楽四重奏曲,管弦楽伴奏の歌曲集《シェエラザード》を書くといったぐあいで,20代後半には早くも個性的な語法・様式を確立していた。それは根底で古典主義的な完成を理念として目ざし,したがってフランス芸術の伝統に背を向けるものでなかったが,当時とすれば際だって斬新な和声を響かせたために,ラベルは危険な前衛と目され,05年ローマ賞コンクールへの参加を拒まれるにいたる。これが問題化して,音楽院院長がT.デュボアからフォーレへと更迭された。この05年にラベルは,ピアノのための《ソナチネ》とピアノ曲集《鏡》,ハープと室内合奏のための《序奏とアレグロ》を書き上げる。ラベルのうちの古典主義を《ソナチネ》が,描写的な音感覚を《鏡》が,装飾的感性を《序奏とアレグロ》が,うかがわせるといってもいいだろう。しかも,そのどれもが同じラベルに違いなく,書法の名人芸,豊かな和声を実現する鋭く果敢な耳,微小な細部まで仕上げをゆるがせにしないメチエ(技巧)の練達が,つねに光彩を放っている。

 《鏡》の先に《夜のガスパール》(1908)がある。これはA.ベルトランの詩の幻想に寄せた3章のピアノ曲で,ほとんどソナタの規模をもつ。《ソナチネ》がウィーン古典派へのオマージュだとすれば,《クープランの墓》(1917)はフランス古典派クラブサン音楽へのそれであろう。後者はラベル自身の手で管弦楽に編成されてバレエ曲となるが,同じなりゆきをみるのが,連弾曲《マ・メール・ロア》(1910)と,ピアノ曲《高雅で感傷的なワルツ》(1911)である。舞曲と舞踏のリズムへの強い関心は,オリジナルのバレエ曲をむろん彼に書かせた。《ダフニスとクロエ》(1912),《ラ・バルス(ワルツ)》(1920),《ボレロ》(1928)など。これらの曲には,歌曲集《シェエラザード》や管弦楽組曲《スペイン狂詩曲》(1908)に彼が駆使した明確・華麗で創意豊かな管弦楽法の,いっそう洗練された名人芸を,聴くことができる。そして名人芸といえば《チガーヌ》(バイオリンとピアノ。1924)はバイオリンの,《夜のガスパール》,2曲のピアノ協奏曲(《左手のための》1930,《ト長調》1931)はピアノの,それぞれ名人芸を高度に要求する作品である。

 《ダフニスとクロエ》で和声的な豊熟の頂点に達したラベルの書法は,《ピアノ三重奏曲》(1914)を転機として線的な意匠に向かう傾きをしだいに示し,バイオリンとチェロの《ソナタ》(1922)でことにそれが著しい。《バイオリン・ソナタ》(1927)にはジャズへの興味がブルー・ノートの採用に反映され,その興味は前記協奏曲2作にもみてとれる。

 歌曲では,《博物誌》(詩ルナール。1906)で皮肉なユーモアと〈パルランド(話すよう)〉な歌わせ方とを効果的にたずね,《マラルメの三つの詩》(1913)で調性を脅かすかのような急進的な書法を試みている。一方,ヘブライほかの民謡を素材とした歌曲が,直截な歌をきかせる。晩年の2歌曲集,《マダガスカル人の歌》(1926)と《ドゥルシネーアに心を寄せるドン・キホーテ》(1933)は,いわばそれらの総合でもあろうか。オペラ《スペインの時間》(台本フラン・ノアン。1909)には,《博物誌》の語り口の延長とスペイン趣味(リズムと民謡風旋律)との巧みな混交がおもしろく,ファンテジー・リリック《子どもと魔法》(台本コレット。1925)には,幼い日々の詩情を基調にもつ点で《マ・メール・ロア》と通じるものがある。

 ラベルは,個人的な感情の露出を嫌って,形態の精確さ完璧さを求め,そのためにメチエをとりわけ重んじた音楽家だった。そんな彼を〈スイスの時計職人〉になぞらえる(ストラビンスキー)のが,まちがっているとはいわないが,その職人気質とされるものが,作品の構造的な多様性を統一すると同時に自己自身をも厳しく批評的にみつめる自意識の働きと,実は表裏になっていることをみすごすとしたら,片手落ちといわなければならないだろう。かつて危険な前衛と目されたラベルを,20世紀はやがてアカデミズムの一翼に組み込んだが,その〈栄光〉のかげにラベルの自意識のドラマは,若干おきざりにされ,忘れられた感がなくもない。晩年は,失語・失行症に苦しみ,脳の手術を受けたがまもなく他界した。
執筆者:


ラベル
label

商品名,商標,商号などを表示して商品に付したはり札や印刷物の総称。表示事項は商品によってさまざまであるが,内容,品質,成分,使用法,寸法・量,製造年月日,製造・発売者名,製造番号,原産国表示などである。とくに食品,薬品,化粧品のラベルは食品衛生法や薬事法などに基づいて表示事項が厳しく定められている。表示方法ははり付け,縫付け,商品・容器への直接印刷や焼付けなどさまざまである。ラベルの起源は,古代エジプトでブドウ酒を蓄える壺の栓に,その品質を表示した刻印を施したことに始まる。その後,社会・経済の発展とともに変遷を経て,19世紀ヨーロッパで広告効果が認められるに伴い,しだいに慣行化した。日本では〈レッテル〉という言葉がオランダ語letterからの外来語として明治以降使われるようになり,〈ラベル〉といわれるようになるのは,昭和期に入ってからである。現代ではラベルはパッケージ・デザインの一環として,購買時点の広告効果(POP効果)を強めるためにより強い印象や美しいデザインが要求されるとともに,そのつくり出すイメージはそのまま企業イメージに直結するので,コーポレート・アイデンティティにおける重要な表現物となっている。レコードのラベルを〈レーベル〉と呼んで,むしろ会社名やブランド名を意味するように,ラベルはロゴタイプやシンボルマーク以上に現代企業の紋章として働いているともいえよう。
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ラベル
Louis Lavelle
生没年:1883-1951

フランスの哲学者。1932-34年パリ大学教授,41年以降コレージュ・ド・フランス教授を歴任。ル・センヌとともに,唯心論的伝統を継承する〈精神の哲学〉の担い手。精神の特質すなわち〈働きacte〉において,われわれは根源的な存在すなわち無限な〈純粋活動acte pure〉に分与しているとし,精神的な本質の獲得へむかうとする内面性の学としての形而上学を展開した。著作には《永遠の現在の弁証法》4巻(1928-45),《全体的現在》(1934)ほかがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラベル」の意味・わかりやすい解説

ラベル(Joseph Maurice Ravel)
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Joseph Maurice Ravel
(1875―1937)

フランスの作曲家。3月7日、スペイン国境に近いバスク地方に生まれる。音楽愛好家の父の勧めで7歳よりピアノを習い、1889年、14歳でパリ音楽院のピアノ予備科に入学する。同年、パリ万国博覧会でアジアやアフリカの異国情緒豊かな音楽に触れ、この経験は、彼が母から受け継いだバスク人の血と相まって、彼の音楽に深い影響を残した。97年からフォーレに作曲を、ジェダルジュに対位法を学ぶ。この時期、ラベルは師フォーレとエリック・サティに大きな感化を受ける。そして98年『耳で聞く風景』で楽壇にデビュー、ピアノ曲『亡(な)き王女のためのパバーヌ』(1899)など異国情緒あふれる個性的な作品を発表する。しかし批評家からはあまり認められず、ローマ賞コンクールには四度とも大賞を獲得できなかった。当時、彼はすでに新進作曲家としての地位を確立し始めていたので、この落選結果は世論の追及の的となり、パリ音楽院の院長らの辞職にまで発展する。彼に対する反感から審査員が不当な評価をしたというのが真相のようである。一方、このころ彼はピアノ曲『水の戯れ』(1901)、弦楽四重奏曲(1902~03)を発表し、新たな世代の作曲家としての名声を獲得し、文学、芸術サロンの寵児(ちょうじ)ともなる。この時期、生涯にわたって尊敬することになるドビュッシーと出会う。そして、ドビュッシーの崇拝者、詩人トリスタン・クリングゾルの詞を伴った管弦楽付き歌曲『シェエラザード』(1903)を発表した。

 その後、第一次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)までに、ピアノ曲『鏡』(1904~05)、『夜のガスパール』(1908)、オペラ『スペインの時』(1907~09)、ディアギレフの依頼によるバレエ作品『ダフニスとクロエ』(1909~12)、管弦楽曲『スペイン狂詩曲』(1907~08)、『道化師の朝の歌』(1918)、ピアノ三重奏曲(1914)、歌曲集『博物誌』(1906)などの秀作を次々と生み出す。のちにストラビンスキーによって「スイス時計のように精密」と評されることになるラベルのきわめて明晰(めいせき)で分析的な構築力、精緻(せいち)で微細な客観性は、このころ完成されたといってよいだろう。この特徴は、朗々と歌い上げることよりも、ひそかに語りかけるようなスタイルの歌曲に顕著に現れている。

 1914年、第一次大戦勃発。2年間の野戦病院での体験、加えて17年の母の死は、彼に大きな打撃を与えるが、大戦後は活力みなぎる文化状況に鼓舞され、ラベルはジャズの影響を受けた新たな局面を強調するようになる。一幕の幻想劇『子供と魔法』(1920~25)、バイオリン・ソナタ(1923~27)、左手のためのピアノ協奏曲(1929~30)、ピアノ協奏曲(1929~31)にみられる荒々しいシンコペーション、ブルー・ノート(ブルースの独特な旋法)の使用は、その好例であろう。しかし、彼より若い新古典主義、新即物主義的作曲家と異なり、ジャズの素材は「時計細工」のような職人芸的書法のなかで処理されている。

 1927~28年、約5か月間のアメリカ演奏旅行ののち、彼の作品中もっとも有名な『ボレロ』が作曲され、28年パリのオペラ座で初演、大成功を収めた。

 1932年の自動車事故で受けた頭部の傷がもとで、37年の死までの5年間、創作を行えないばかりか、廃人同様の状態にまで悪化し、不幸な最後を終えた。なお彼には編曲作品も多く、とくにクーセビツキーの依頼によるムソルグスキーのピアノ曲『展覧会の絵』の管弦楽編曲(1922)は有名である。

[船山 隆]

『H・ジュルダン・モランジュ著、安川加寿子・嘉乃海隆子訳『ラヴェルと私たち』(1968・音楽之友社)』『V・ペルルミュテール、H・ジュルダン・モランジュ著、前川幸子訳『ラヴェルのピアノ曲』(1970・音楽之友社)』『G・レオン著、北原道彦訳『ラヴェル』(1974・音楽之友社)』『諸井誠著『わたしのラヴェル』(1984・音楽之友社)』『H・H・シュトゥッケンシュミット著、岩淵達治訳『モリス・ラヴェル――その生涯と作品』(1983・音楽之友社)』


ラベル(Louis Lavelle)
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Louis Lavelle
(1883―1951)

フランスの哲学者。南フランスのビュレアルで生まれる。1909年哲学の教授資格を得た。1916年より第一次世界大戦に2年間従軍し、捕虜生活もした。1932~1934年ソルボンヌ大学(パリ大学)、1941年よりコレージュ・ド・フランスの教授となり、1947年よりアカデミーの会員に選出された。現代において形而上(けいじじょう)学を問い直し、「分有」(パルティシパシオン)の哲学を主張、人間性とモラルの回復を呼びかけた。実存として不安と虚無を超えて存在についての信頼が取り戻されるべきであるとし、「存在の優位」と、自由に基づく「存在の分有」の行為を説いた。『永遠の現在の弁証法』全5部(1928~1955)、『自我の意識』(1933)、『全体的現前』(1934)、『価値論』全2部(1951~1952)などがある。

[池長 澄 2015年6月17日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラベル」の意味・わかりやすい解説

ラベル
Lovell, Sir Bernard

[生]1913.8.31. オールドランドコモン
[没]2012.8.6. スウェテナム
イギリスの天文学者。フルネーム Sir Alfred Charles Bernard Lovell。ブリストル大学卒業。1936年博士号を取得後,マンチェスター大学で講義するかたわら同大学宇宙線研究チームに加わる。第2次世界大戦中は航空省でレーダの研究に携わる。1945年終戦と同時にマンチェスター大学に講師として復帰,ジョドレルバンク電波天文学研究所設立に尽力,初代所長となる。1951年マンチェスター大学電波天文学教授,1955年ロイヤル・ソサエティ会員,1969~71年王立天文協会会長。当時世界最大の電波望遠鏡を建設,流星群による反射電波から,それが楕円軌道をもつ太陽系の一員であることを実証したほか,パルサー,クエーサーを含む遠方の天体からやってくる電波の研究で知られる。また人工衛星の追跡,制御などにも中心的活躍をなし,現代電波天文学最大の開拓者といえる。1960年ロイヤル・ソサエティのロイヤル・メダル,技術者協会のチャーチル金メダル,1961年にナイトの称号を授けられるなど数々の栄誉に輝いた。(→電波天文学

ラベル
Ravel, (Joseph-)Maurice

[生]1875.3.7. シブール
[没]1937.12.28. パリ
フランスの作曲家。スイス人の父とバスク人の母の間に生れ,14歳でパリ音楽院に入学。在学中にピアノ曲,歌曲を発表し,G.フォーレに作曲を師事。ローマ大賞に3回応募したが報われず,このため作家 R.ロランをはじめ多くの音楽家,知識人が楽壇への抗議を公表,学院長 T.デュボアの辞任にまで波及した。作風は印象主義的であるが,中期以後は古典的な均衡を理想とし,明確な造形的構成で,主としてスペインに素材を求めた。 1927年アメリカから招聘されて渡米,帰国後は爆発的な人気を集め,ドビュッシーと並んでフランス近代音楽の代表的な存在となった。主作品は,『亡き王女のためのパバーヌ』 (1899) ,『スペイン狂詩曲』 (1907) やバレエ音楽にも用いられる『ボレロ』 (28) のほか,オペラ『スペインの時』 (1907) ,バレエ『ダフニスとクロエ』 (09~12) ,また『水の戯れ』 (01) ,『夜のガスパール』 (08) などのピアノ曲がある。

ラベル
Lavelle, Louis

[生]1883.7.15. サンマルタンドピレレエル
[没]1951.9.1. パランケ
フランスの唯心論哲学者。ル・センヌとともに「精神の哲学」の代表者であり,キリスト教的実存哲学者。自我と世界の根源である純粋現実態 acte pureに絶対者を求めた。 1932~34年ソルボンヌ,41~51年コレージュ・ド・フランスの哲学教授。主著『感覚的世界の弁証法』 La Dialectique du monde sensible (1922) ,『永遠の現在の弁証法』 La Dialectique de l'éternel présent (4巻,28~45) 。

ラベル
Lovell, James Arthur, Jr.

[生]1928.3.25. クリーブランド
アメリカの宇宙飛行士。海軍兵学校卒業後,テストパイロットになる。 1962年第2期宇宙飛行士の一人に選ばれ,65年 12月ジェミニ7号で F.ボーマンとともに地球を 220周し,ジェミニ6号と初めてのランデブーに成功。 66年 11月ジェミニ 12号で E.オルドリンと地球を 56周。 68年 12月アポロ8号でボーマン,W.アンダース両飛行士と人類初の月往復飛行に成功,米ソを通じ最長宇宙飛行の記録をつくった。 70年4月アポロ 13号で4度目の宇宙飛行を試み,月着陸を目指したが,宇宙船の機械船部に積んだ酸素タンクの爆発事故で月着陸を断念,月を回るだけで帰還した。

ラベル
label

商品名など,その商品に関するさまざまな事項を表示した「貼り札」のこと。商品容器や包装などに貼付することを目的としてつくられた。オランダ語源のレッテル letterともいう。ラベル表示の中心をなすものは,商品名と商標(ブランドマーク)であったが,商品に関して正しく知る権利を主張する消費者の要求にこたえて,しだいに原材料名,添加物,内容量,消費期限賞味期限,製造者,保存の方法などが記載されるようになった。

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DBM用語辞典 「ラベル」の解説

ラベル【label】

(1)ダイレクト・マーケティングでは、名前と住所とが明記されている小さな紙切れ。郵便受領者に送付するためにそのラベルを貼り付ける。アドレス・ラベル、メーリング・ラベルとも呼ばれている。(2)マーチャンダイジングでは、例えば、オンワード・ラベルとかソニーレコード・ラベルのように小売業者、ファッションデザイナー、衣類製造業、レコーディング会社のブランド名のこと。

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ASCII.jpデジタル用語辞典 「ラベル」の解説

ラベル

識別子磁気ディスクや磁気テープボリュームやファイルの識別と保護のために使われる識別子。ボリュームの先頭やデータのまとまりの前後に付けられる。ボリューム名前アセンブリ言語などで、一連の命令に付けられる名前。または、飛び越し命令を使用して別の処理に分岐させる場合に、分岐先に付ける名前。アセンブリ言語飛び越し命令

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世界大百科事典(旧版)内のラベルの言及

【印象主義】より

…しかしドビュッシーが作曲家として地位を確立してゆくのに伴い,この用語から否定的なニュアンスは失われていった。やがて〈印象主義音楽〉とは,ロマン主義の一帰結である感覚主義に立ち,アカデミーが非難に値すると見た色彩性の強調などを,かえって進んで特色とする様式であって,ドビュッシーやラベルの作品中にその典型的な表れがあるとされた。 印象主義音楽は,ふつう次のような技法上の特徴を示すといわれる。…

【ジャズ】より

…黒人大衆音楽の代名詞ともなったが,第2次大戦後は差別的なraceをやめ,黒人大衆音楽はリズム・アンド・ブルースと呼ばれる)とポータブル・プレーヤーを持ち帰り,ジャズ・イディオムを用いた最初の作とされるバレエ曲《世界の創造La création du monde》(1923)を書いた。ジャズに熱狂していたコクトーやオーリック,ミヨーらの熱がやがてさめだしたころ,ラベルがまじめにジャズを研究し始める。彼の《バイオリン・ソナタ》(1927)の第2楽章はブルースであった。…

【ダフニスとクロエ】より

…ベルナルダン・ド・サン・ピエールやゲーテなど近代の作家たちにも大きな影響を与えている。【引地 正俊】
[音楽]
 上記の物語に基づく音楽作品では,M.ラベルのバレエ音楽《ダフニスとクロエDaphnis et Chloé》(1912,1幕3場)が有名である。ディアギレフのバレエ・リュッスの委嘱,フォーキンの台本・振付で1912年初演。…

【展覧会の絵】より

…楽曲は(1)小人,(2)古城,(3)チュイルリ(遊んだ後の子どものけんか),(4)ブイドロ(牛),(5)卵の殻をつけたひなどりのバレエ,(6)2人のユダヤ人(太ったのと瘦せたの),(7)リモージュの市場,(8)カタコンベ,(9)鶏の足の上に建っている小屋,(10)キエフの大門,の構成になっている。色彩感と表現に富むこの作品に対して,多くの管弦楽編曲が試みられたが,1922年,クーセビツキーの委嘱でJ.M.ラベルが行った編曲が最も有名で,オーケストレーションの技巧を駆使した色彩豊かで優れた構成感をもつこの編曲は,近代の管弦楽の頂点に位置するものの一つである。【西原 稔】。…

【フランス音楽】より

…第3は,1660年より1760年に至るベルサイユ楽派の時代。そして第4は,フォーレ,ドビュッシー,ラベルを頂点にいただく1860年以後の1世紀である。これは一つの見方にすぎぬかもしれないが,フランス音楽がヨーロッパにあって最も古く輝かしい歴史を誇る音楽の一つであることは,語ってくれるだろう。…

【ペルルミュテール】より

…生地でM.モシュコフスキに,次いでパリ音楽院でA.コルトーに師事。1927年M.ラベルの知遇を得,その全ピアノ作品を作曲家自身から学びつつ深く研究し,とくにその演奏によって高く評価された。また後年ジュルダン・モランジュHélène Jourdan‐Molangeとのラジオ対談をもとに共著《ラベルのピアノ曲Ravel d’après Ravel》(1953。…

※「ラベル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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