ティラバーニャ(読み)てぃらばーにゃ(その他表記)Rirkrit Tiravanija

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ティラバーニャ」の意味・わかりやすい解説

ティラバーニャ
てぃらばーにゃ
Rirkrit Tiravanija
(1961― )

タイ出身でアメリカで活動するコンセプチュアル・アーティスト。タイの外交官の息子としてブエノス・アイレスで生まれる。その後、タイ、エチオピアで少年時代を過ごす。タイで大きなレストランを経営し、テレビの料理教室の講師でもあった祖母の多大な影響を受ける。1980~84年カナダのオンタリオ・カレッジ・オブ・アート、84~86年スクール・オブ・ジ・アート・インスティテュート・オブ・シカゴで学び、85~86年ニューヨークのホイットニー・アメリカ美術館でインディペンデント・スタディ・プログラムに参加。

 91年のニューヨークのポーラ・アレン・ギャラリーでの初個展で、オープニングにタイの伝統的な皿うどんパッタイを自ら調理して客に振るまい、調理器具と残りの皿をインスタレーションの一部として展示した。この個展によりティラバーニャは、「食」という人間にとって最も基本的な生活行為を核としたパフォーマンスを通して多くの人々が集まる場をつくる作家として著名になった。

 ティラバーニャは、一つの作品を作るというよりは、いくつかのアイディアをもとにしたイベントを行い、参加者のコミュニケーションを通して新しい居住の場を作り、国籍地縁を超えた「近隣」の意識の発生を促す。94年の作品『無題――マドリード空港からソフィア王妃芸術センターまで』では、テーブルや調理器具やビデオカメラを組み込んだ車や自転車に乗って料理やキャンプをしながら移動し、96年の『無題――明日は明日の風が吹く』では、自分のアパートをギャラリーとして24時間開放した。そこには、1960年代のフルクサスの活動や70年代のビト・アコンチによる「ルーム・プロジェクト」(1971。自分のアパートの生活用品をギャラリーに移して展示した)や、ソーホーにアーティストの仲間が食事を作りパフォーマンスを行うレストラン「フード」(1971)を開いたゴードンマッタ・クラークの活動のエッセンスが取り込まれている。そうしたコンセプチュアルな活動を、気軽で社交的な場の設置を通して浸透させたという点で、ティラバーニャの作品は90年代後半に台頭したリレーショナル・アートの核となるものでもあった。

 96年ボルドー現代美術館(フランス)におけるリレーショナル・アートのグループ展「トラフィック」、97年ミュンスター彫刻プロジェクト(ドイツ)、99年のベネチア・ビエンナーレといった国際展に参加し、MoMA(ニューヨーク近代美術館)をはじめ世界の主要美術館で個展を開催し、各地の大学で講義を行う、90年代を代表する美術家である。99年ゴードン・マッタ・クラーク賞受賞。2001年よりコロンビア大学で教鞭をとる。

[松井みどり]

『片岡真実著「ナマモノと調理ずみのもの――第三の窓をあけて」(「リクリット・ティラヴァーニャ」展カタログ所収。2002・東京オペラシティ文化財団)』『Jerry SaltzA Short History of Rirkrit Tiravanija (in Art in America, February 1996, Brant Publications, New York)』『Bruce HainleyWhere Are We Going? And What Are We Doing? Rirkrit Tiravanija's Art of Living (in Art Forum, Febeuray 1996, Art Forum, New York)』

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