ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「テオドシウス2世」の意味・わかりやすい解説
テオドシウス2世
テオドシウスにせい
Theodosius II
[没]450.7.28. コンスタンチノープル
東ローマ皇帝 (在位 408~450) 。 402年父アルカディウス帝の共治帝とされ,その死後7歳で帝位につき,初めアンテミウス,のち姉プルケリアが摂政となった。学問,宗教の研究を好み穏和であった。その治世は外部からの侵入に悩まされ,アフリカではバンダル族,ドナウではフン族のアッチラの劫略を受けた。また彼がコンスタンチノープル総大司教に任命したネストリウスが異端問題を起し,431年エフェソス公会議で追放された。 425年コンスタンチノープル大学を創設。また有名な『テオドシウス法典』の編纂は彼の手に成る (438) 。
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