日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ダイムラー・クライスラー
だいむらーくらいすらー
Daimler Chrysler
1998年から2007年まで存在したアメリカの自動車会社。1998年11月にドイツの自動車メーカー、ダイムラー・ベンツとアメリカの三大自動車メーカー(ゼネラル・モーターズ〈GM〉、フォード、クライスラー)の一つであるクライスラーが合併して誕生した。売上高で日本のトヨタ自動車を抜き、GM、フォードに次ぐ世界第3位(1998年)の企業であった。ヨーロッパとアメリカの大企業どうしの合併は、自動車業界の世界的な再編の幕開けとして大きな反響をよんだ。登記上の本社は、ドイツのシュトゥットガルト。
ダイムラー・ベンツは1926年に設立され、大型の高級車の生産を中心に発展を遂げてきた。「ベンツ」の名称は世界の高級車の代名詞であり、そのブランド・イメージは消費者の間に深く浸透している。一方で、ダイムラーグループは自動車以外に、宇宙・航空、エレクトロニクスなどの部門を抱えるドイツ最大の企業でもある。親会社のダイムラー・ベンツは持株会社であり、傘下に自動車部門のメルセデス・ベンツ、電機部門のAEG(ともに1997年親会社に吸収合併)、宇宙・航空部門のDASA(ダイムラー・ベンツ・エアロスペース、のちのヨーロピアン・エアロノーティック・ディフェンス・アンド・スペース、略称EADS)などの企業を擁していた。当時の筆頭株主はドイツ銀行であり、グループの政策決定に大きな影響力をもっていた。
クライスラー社は、GMで活躍していたW・P・クライスラーWalter Percy Chrysler(1875―1940)が1925年に設立し、GM、フォードとともに「ビッグ・スリー」を形成してきた。1973年のオイル・ショックを境に業績が悪化し倒産の危機に直面したが、連邦政府保証融資を受け再建を図った。事業内容は、クライスラー、ダッジなどの乗用車やトラックなどの自動車部門が中心であるが、傘下に金融サービス、レンタカー事業を行う企業を擁していた。
合併したダイムラー・クライスラーの初年度決算(1998年12月期)では、売上高が1546億1500万ドルと1997年の両社の合計額に比べ約10%の増収となった。合併の効果は大きいとみられていたが、問題がないわけでもなく、ドイツとアメリカでは、コーポレートガバナンス(企業統治)の形態が異なるため、新会社がどのような形態をとるのかが注目されていた。結局、ドイツ型の統治形態に基づき、監査役会の労働側代表ポストの一つをドイツ金属労組(IGメタル)が全米自動車労組(UAW)に明け渡す形で決着したが、労使の協調を基本とし、「コンセンサス」(意見一致)を重視するドイツ型経営と、徹底した競争原理に基づく「トップダウン」(上意下達)の経営を志向するアメリカ型経営がうまくかみ合うのかどうかが課題となった。
[所 伸之]
合併後、高級車「メルセデス・ベンツ」と大衆車「クライスラー」の車種の違いが統合作業やコスト削減の妨げとなり、クライスラーの北米での販売不振も解消せず、2007年5月、ダイムラー・クライスラーはクライスラー部門をアメリカの投資会社サーベラス・キャピタル・マネジメントへ売却。「世紀の合併」とよばれた経営統合は9年で白紙に戻り、同年10月には社名をダイムラーに変更した。一方、クライスラーはリーマン・ショックの影響で2009年に破綻(はたん)後、イタリアのフィアット社の傘下に入り、2014年に経営統合してフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)となった。
[矢野 武 2019年8月20日]