デ・パルマ(読み)でぱるま(その他表記)Brian De Palma

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デ・パルマ」の意味・わかりやすい解説

デ・パルマ
でぱるま
Brian De Palma
(1940― )

アメリカの映画監督。ニュー・ジャージー州ニューアーク生まれ。父親は外科医師であった。コロンビア大学では物理学専攻だったが、在学中に16ミリによる映画製作を開始。1962年に卒業後、映画会社ユニバーサルの親会社MCMから奨学金を得て1964年にサラ・ローレンス大学大学院を修了。短編作品『ウォータンズ・ウェイク』(1963)で、ローゼンタール基金賞の最優秀短編映画賞を受賞。最初に公開された長編劇映画は『殺人ア・ラ・モード』(1967)。ベトナム戦争など混沌としたアメリカの現状を背景にしたロバート・デ・ニーロ主演の青春映画『青春のマンハッタン』(1968)はベルリン国際映画祭で銀熊賞を受けた。サスペンス仕立ての低予算映画『悪魔シスター』(1973)での演出手腕が認められたことをきっかけに、ミュージカルオペラ座怪人』をベースにした『ファントム・オブ・パラダイス』(1974)、『愛のメモリー』『キャリー』(ともに1976)、『フューリー』(1978)と着実にヒット・メーカーとしての評価を高め、『殺しのドレス』(1980)や『ミッドナイトクロス』(1981)で独自の作風確立往年の犯罪映画のリメイクである『スカーフェイス』(1983)、『ボディ・ダブル』(1984)、禁酒法時代のシカゴを舞台にギャングFBI抗争を描き、ショーン・コネリーSean Connery(1930―2020)をアカデミー助演男優賞に導いた『アンタッチャブル』(1987)など、立て続けに話題作を世に問うことになる。

 初期デ・パルマ作品を評価する際につきまとったのが、「ヒッチコックの後継者(模倣者)」といった形容であり、この形容に基づいて彼は時にたたえられ、逆におとしめられもした。確かに、『愛のメモリー』で主要登場人物が前半で殺害され、後半に「別人」として再登場する設定や、『殺しのドレス』における美術館での長い追跡シーンは、ヒッチコックの代表作『めまい』からの引用であり、『悪魔のシスター』や『ボディ・ダブル』をはじめ初期デ・パルマ作品に横溢(おういつ)するのぞき見的主題もまた、『裏窓』などヒッチコックが得意としたものの継承である。デ・パルマ自身、ヒッチコック作品の音楽で知られたバーナード・ハーマンを起用するなど、そうした影響関係を隠そうとしない。一つには、コッポラやスピルバーグらと同様、往年のハリウッド映画への羨望(せんぼう)や憧憬(どうけい)を隠すことなく、むしろそれを明白に自作で表明する世代の映画作家の一人であるからだが、他方で、ヒッチコックら古典的な映画作家において隠された影の主題に止まった性的倒錯や精神的な破綻(はたん)など人間における暗部を表立って扱う点で、模倣に終わることなく、現代的な独自色を出しうるとの自負があったからでもある。いずれにせよ、初期デ・パルマは、いわゆる「ヒッチ・タッチ」に限らず、『悪魔のシスター』などでのスリット・スクリーン(分割画面)など、あらゆる映画演出上の技法をあざとく見えるほどまでに誇示することで、自身の作風を確立させた映画作家である。

 1990年代に入ると、『カリートの道』(1993)などいくつかの作品を経て、トム・クルーズTom Cruise(1962― )主演・製作によるスパイ映画の大作『ミッション:インポッシブル』(1996)を演出。この作品の大ヒットは、大予算のエンタテインメント作品でのデ・パルマの手腕を世界中に印象づけ、彼にとって新たな時代の幕開けとなった。その後の作品に、いかにも彼らしく13分間ノンストップ・ショットに始まる『スネーク・アイズ』(1998)、『ミッション・トゥ・マーズ』(2000)などがある。

[北小路隆志]

資料 監督作品一覧

ウォータンズ・ウェイク Wotan's Wake(1963)
殺人ア・ラ・モード Murder à la Mod(1967)
青春のマンハッタン Greetings(1968)
御婚礼 ザ・ウェディング・パーティー The Wedding Party(1969)
悪魔のシスター Sisters(1973)
ファントム・オブ・パラダイス Phantom of the Paradise(1974)
愛のメモリー Obsession(1976)
キャリー Carrie(1976)
フューリー The Fury(1978)
悪夢のファミリー Home Movies(1979)
殺しのドレス Dressed to Kill(1980)
ミッドナイトクロス Blow Out(1981)
スカーフェイス Scarface(1983)
ボディ・ダブル Body Double(1984)
アンタッチャブル The Untouchables(1987)
カジュアリティーズ Casualties of War(1989)
虚栄のかがり火 The Bonfire of the Vanities(1990)
レイジング・ケイン Raising Cain(1992)
カリートの道 Carlito's Way(1993)
ミッション:インポッシブル Mission : Impossible(1996)
スネーク・アイズ Snake Eyes(1998)
ミッション・トゥ・マーズ Mission to Mars(2000)
ファム・ファタール Femme Fatale(2002)
ブラック・ダリア The Black Dahlia(2006)
リダクテッド 真実の価値 Redacted(2007)
パッション Passion(2012)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デ・パルマ」の意味・わかりやすい解説

デ・パルマ
De Palma, Brian (Russell)

[生]1940.9.11. ニュージャージー,ニューアーク
アメリカ合衆国の映画監督,脚本家。アルフレッド・ヒッチコック作品の流れをくみ,ホラー映画スリラー映画を中心に,生々しい場面を多用することで知られる。1962年にコロンビア大学で学士号を取得したのち,奨学金を得てサラ・ローレンス大学の大学院に特別研究員として学び,1964年に修士号を取得した。大学時代に映画に夢中になり,大学院在籍中に長編第一作『御婚礼/ザ・ウェディング・パーティ』The Wedding Party(1969)を完成した。1976年のホラー映画『キャリー』Carrieで商業的に成功。その後『殺しのドレス』Dressed to Kill(1980),『ミッドナイトクロス』Blow Out(1981),『ボディ・ダブル』Body Double(1984)などのスリラー映画をヒットさせた。ほかにギャング映画の『スカーフェイス』Scarface(1983),『アンタッチャブル』The Untouchables(1987),アクション映画『カジュアリティーズ』Casualties of War(1989)などがある。

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百科事典マイペディア 「デ・パルマ」の意味・わかりやすい解説

デ・パルマ

米国の映画監督。ニュージャージー州生れ。コロンビア大で物理学と工学を学ぶ。ヒッチコックの《めまい》(1958年)を観たことをきっかけとして映画の道に進み,《悪魔のシスター》(1973年)で劇場用映画デビュー。ロック・ミュージカル《ファントム・オブ・パラダイス》(1974年)で注目される。ヒッチコックの影響が色濃い,凝った画面構成によるサスペンス・タッチの演出が特徴。作品に《キャリー》(1976年),《フューリー》(1978年),《殺しのドレス》(1980年),《ミッドナイトクロス》(1981年),《ボディ・ダブル》(1984年),《アンタッチャブル》(1987年),《カジュアリティーズ》(1989年),《レイジング・ケイン》(1992年)などがある。

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