スリラー映画(読み)スリラーえいが

改訂新版 世界大百科事典 「スリラー映画」の意味・わかりやすい解説

スリラー映画 (スリラーえいが)

スリルサスペンス,ショックを意図してつくられる映画の総称で,一つのジャンルとして定着するまでは,〈サスペンス・フィルムsuspense film〉〈ショッカーshocker〉などともよばれた。第2次世界大戦中から戦後にかけての1940年代に,犯人捜索や事件解決をめぐる推理的興味よりも人物の行動や環境を〈ハードボイルドhard-boiled〉とよばれる非情なスタイルで描写して不安や緊張をもり上げるスリラー小説が流行したが,それを反映して〈探偵映画detective film〉の原型の一つといわれるレーモンド・チャンドラー原作の《三つ数えろ》(1946)がつくられ,〈スリラーthriller〉ということばが映画にもつかわれるようになったといわれる。〈犯罪映画crime movie〉〈暗黒映画black cinema〉〈私立探偵映画private eye film(shamus film)〉ともよばれたが,映画のジャンルとしては〈スリラー映画〉が一般的呼称になった。

 古くはD.W.グリフィスの《東への道》(1920)や《嵐の孤児》(1922)のクライマックスでサスペンスが意図され,またドイツの表現主義映画《カリガリ博士》(1919)には,すでにスリラー映画の要素があると指摘する映画史家もいて,最初につくられたスリラー映画を追跡するのはイギリスの最初の民謡を追跡するようなものであるといわれるが,〈スリラーの開祖〉として知られるのはアルフレッド・ヒッチコック監督で,有名な〈切り裂きジャック〉事件をモデルにしたベロック・ローンズの小説を下宿屋の女主人の視点だけにしぼって映画化したイギリス時代のサイレント作品《下宿人》(1926)がその最初の〈スリラー映画〉である。次いでヒッチコックは,スリラー映画の原型となる《三十九夜》(1935)をつくり,またハリウッドへ渡って《レベッカ》(1940),《断崖》(1941),《疑惑の影》(1943)でスリラー映画流行のきっかけをつくった。犯罪や異常心理をあつかったスリラー映画の流行は,アメリカ映画に見られた特異な戦中・戦後現象で,社会心理学者は,戦争によって神経の平衡を失った世代の絶望と逃避,つまり戦後アメリカ社会の〈自己崩壊〉,社会的混乱の心理的反映であると指摘しているが,実情は製作費や資材など製作条件の制約という現実的な問題に対処するうえで,他のジャンルの映画よりも安上がりでできるということもあった。さらにヨーロッパからハリウッドへ亡命あるいは移住してきた若い監督たちが,そのみずみずしいヨーロッパ感覚で,それまでアメリカ映画にはなかったまったく異質の心理的スリラーをつくって大きな刺激を与えたこともあった。オットー・プレミンジャー監督の《ローラ殺人事件》(1944),フリッツ・ラング監督の《飾窓の女》(1944),ビリー・ワイルダー監督の《深夜の告白》(1945),ロバート・シオドマク監督の《らせん階段》(1945)等々がそれである。

 いわゆる〈セミ・ドキュメンタリー〉の手法を用いたスリラー映画も流行し,FBIの記録にもとづく《Gメン対間諜》(1945),実際の殺人事件を描いた《影なき殺人》(1947),集団脱獄事件を描いた《真昼の暴動》(1947),殺人犯の追跡を描いた《裸の町》(1948),FBIの記録による《情無用の街》(1948)などがつくられ,ルイ・ド・ロシュモントLouis de Rochemont(1899-1978)のセミ・ドキュメンタリー・スタイルのニュース映画《ザ・マーチ・オブ・タイム》(1935-51)に示唆されたといわれるこれらの映画の傾向は〈ニュー・リアリズム〉ともよばれた。そしてヒッチコックは,展開される物語の時間と映画そのものの時間が一致する《ロープ》(1948)で,それまでの映画のつくり方の常識をひっくり返して全編をワン・カットで撮るという未曾有の実験を試み,スリラー映画流行の一つの頂点を示した。

 テレビジョンの脅威にさらされて映画がワイド・スクリーンとカラーの時代を迎えた1950年代は,小さいモノクロのスクリーンになじんできたスリラー映画にとって,ある意味では試行錯誤の時代でもあったが,作家たちはいわばその卑屈なまでの暗い心情から,マッカーシー時代と冷戦下の政治的に緊張した雰囲気に結びついた《拾った女》(サミュエル・フラー監督,1953),《復讐は俺に任せろ》(フリッツ・ラング監督,1954),《キッスで殺せ》(ロバート・アルドリッチ監督,1955)などの傑作を生んだ。ヒッチコックは,1本の映画を1人の人間の視点から撮るという映画的テクニックの極致に挑戦した《裏窓》(1954)に続いて,最初のビスタビジョン・スリラー《泥棒成金》(1955)をつくった。

 いわば伝統的なスリラー映画の最後を飾ったバッド・ベティカー監督《暗黒街の帝王レッグス・ダイヤモンド》(1960)とサミュエル・フラー監督《殺人地帯USA》(1960)のあと,《007》シリーズが登場した60年代以降は,スリラー映画とよばれる作品は《動く標的》(1966),《ブリット》(1968),《フレンチ・コネクション》(1971),《ダーティハリー》(1971)など,カー・チェイスや暴力を主体にしたいろいろな傾向を生んで多様化して,アメリカでは《ゴッドファーザー》(1972)や《ジョーズ》(1975)までスリラー映画の範疇(はんちゆう)に数えられているが,他方,伝統的な犯罪映画としてのスリラーは〈フィルム・ノワールfilm noir〉(フランス語で暗黒映画の意)と呼ばれて区別されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スリラー映画」の意味・わかりやすい解説

スリラー映画
スリラーえいが
thriller film

サスペンスを中心にして心理的に恐怖感を与える映画。怪奇映画や推理映画もスリラー映画の手法が使われ応用範囲が広い。『カリガリ博士』 Das Kabinett des Dr. Caligari (1919) ,『マブゼ博士』 Dr. Mabuse (22) などのドイツ表現主義映画で,怪奇性と犯罪性とを折込んだスリラー映画のスタイルができ,A.ヒッチコック監督がこのジャンルをさらに磨き上げ,『三十九夜』 The Thirty-nine Steps (35) ,『レベッカ』 Rebecca (40) ,『疑惑の影』 Shadow of a Doubt (43) など次々とスリラー映画を制作した。また,フランスの H.-G.クルーゾ監督の『悪魔のような女』 Les Diaboliques (54) ほか各国にすぐれた作品が生れた。

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