デジタル大辞泉 「デルベント」の意味・読み・例文・類語 デルベント(Derbent/Дербент) ロシア連邦南西部、ダゲスタン共和国の都市。カフカス山脈の東端とカスピ海西岸の間に位置し、古くから中東と南ロシアの平原地帯を結ぶ交通の要衝として知られ、しばしば北方遊牧民の侵入が繰り返された。ササン朝ペルシアの王ホスロー1世が築いた高さ20メートルの堅固な城壁などが残っており、2003年に「デルベントのシタデル(城塞)、古代都市、要塞建築物群」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 「デルベント」の意味・わかりやすい解説 デルベントDerbent ロシア連邦南西部,北カフカスにあるダゲスタン共和国の中心都市の一つ。カスピ海に臨む。人口10万4844(2004)。5世紀に東ヨーロッパと近東を結ぶ沿岸交通路の要塞として建設される。アラブ,モンゴル,イランなどの侵攻,支配をうけた。1747年デルベント・ハーン国を形成,96年ロシア軍に占領され,1813年併合された。20世紀初頭,カフカス鉄道網の要地となる。1917年の十月革命後の内戦を経て,1920年3月赤軍により解放された。食品(缶詰,食肉,乳製品,ブドウ酒),機械,建材,紡績業などの産業が盛んである。執筆者:高橋 清治 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デルベント」の意味・わかりやすい解説 デルベントDerbent ロシア南西部,北カフカス,ダゲスタン共和国の都市。共和国首都マハチカラの南東約 120kmにあり,カスピ海に面する。背後に大カフカス山脈の迫る要害の地であることから,早くも5世紀にペルシア人により要塞が建設された。その後8世紀にアラブ人,13世紀にモンゴル人などに占領され,19世紀初めロシア領となった。6世紀の城壁,8世紀のモスク,中世のキャラバンサライ (隊商宿) などの遺跡が保存されており,要塞を含むこれら古代都市の遺跡群は 2003年世界遺産の文化遺産に登録された。羊毛,食品 (水産加工,果実缶詰,ワイン) などの工業がある。マハチカラとアゼルバイジャンの首都バクーを結ぶ幹線鉄道,ハイウェーが通る。人口 11万9961(2010)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by