改訂新版 世界大百科事典 「トゥイニャーノフ」の意味・わかりやすい解説
トゥイニャーノフ
Yurii Nikolaevich Tynyanov
生没年:1894-1943
ソ連邦の作家,文芸学者。ビテプスク県レジツァ市(現,ラトビア共和国レゼクネ市)の医者の家に生まれる。1912-18年ペテルブルグ大学文学部に学ぶ。ベンゲロフS.A.Vengerovのプーシキン演習から,のちにフォルマリズムで知られる〈オポヤーズ〉のグループ,シクロフスキー,エイヘンバウムらが出たが,彼もその一人で,大学に残ってロシア文学研究を行い,1921年《ドストエフスキーとゴーゴリ,パロディの理論》を出し,21-30年芸術史学院で詩の講義を続けた。この間《詩的言語の問題》(1924),デカブリストの詩人キュヘリベーケルを描いた歴史小説《キュフリャ》(1925),グリボエードフを扱った《ワジル・ムフタルの死》(1927)などを書き,29年には文学の理論とプーシキンからフレーブニコフに至る詩論を集めた《擬古主義者と革新者》を出した。30年代にはゴーリキーが始めた《詩人文庫》編纂にたずさわり,ハイネの《ドイツ冬物語》(1933)を翻訳,35年にはプーシキンの伝記小説にとりかかったが,神経系統を冒される難病にかかり,未完に終わった。
執筆者:新谷 敬三郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報