トリホス
Omar Torrijos Herrera
生没年:1929-81
パナマの軍人,政治家。パナマのサンチアゴ生れ。軍学校で教育を受け1952年国家保安隊の少尉,66年に中佐となる。68年5月の大統領選挙でアリアスが当選するが,10月の大統領就任直後クーデタが発生,軍人による新政府が成立した。その中でトリホスは国家保安隊の司令官にとどまり,デメトゥリオ・ラカスが大統領に就任するが実権はトリホスが握っていた。トリホスは民族主義政策を推進し,72年には新しい憲法を採択。そのときの全国代議員会議で,彼は国家統治の全権を与えられた。トリホスはパナマ運河地帯の全面返還交渉に積極的に乗り出し,75年3月に国連安保理をパナマ市で開催,パナマ運河問題は世界中の注目を浴びた。そしてついに78年6月新運河条約がアメリカとの間に結ばれ,20世紀末には運河地帯の完全返還が決まった。その後も国家保安隊司令官の地位にあって大きな影響力を行使していたが,81年7月飛行機事故で死去した。
執筆者:河合 恒生
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トリホス
とりほす
Omar Torrijos Herrera
(1929―1981)
パナマの政治家、軍人。パナマ運河の主権回復に大きな役割を果たした。1952年パナマ国家警備隊に入隊。1968年10月アリアスArnulfo Arias Madrid(1901―1988)の大統領就任直後にクーデターを起こしアリアスを追放した。新大統領にはデメトゥリオ・ラカスDemetrio Basilio Lakas(1925―1999)が就任し、トリホスは国家警備隊司令官の地位にとどまったが、実権はトリホスの手にあった。1972年に新憲法が採択されると「最高指導者」の称号を得て国家統治の全権を与えられた。以後、パナマ運河の全面返還交渉に乗り出し、1978年6月アメリカとの間で新運河条約に調印した。それとともに最高指導者を辞任、国家警備隊司令官として影響力を行使していたが、1981年飛行機事故で死亡した。
[後藤政子]
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トリホス
Omar Torrijos Herrera
1929~81
パナマの軍人政治家。1968年のクーデタ後大統領(在任1868~69)となり,69年以後は国家保安隊司令官として,81年に事故死するまで政治の実権を握った。大地主など旧来の支配階層の影響力を弱め,大衆の政治参加など政治制度を近代化し,金融セクターの育成や社会基盤の整備を中心に経済発展を進めた。77年には,アメリカのカーター大統領との間で2000年にパナマ運河を返還することを定めた条約を結んだ。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
トリホス
パナマの軍人,政治家。1968年のクーデタで軍人による政府が成立し,国家保安隊司令官として実権を握る。民族主義政策を推進し,1972年新憲法のもとで国家統治の全権を与えられる。パナマ運河地帯の全面返還交渉に乗り出し,1978年20世紀末の全面返還を定めた新運河条約を米国と締結。1981年飛行機事故で死亡。
→関連項目パナマ(国)
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トリホス
生年月日:1929年2月13日
パナマの軍人,政治家
1981年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のトリホスの言及
【パナマ】より
…
[政治]
1968年10月に国家保安隊がクーデタを起こし,軍事評議会が政権を握り,国会を閉鎖し,憲法を停止した。69年12月大統領にデメトリオ・ラカスが就任したが,実権は[トリホス]国家保安隊司令官が掌握し,その指揮下で地方行政単位〈コレヒミエント〉を基礎に全国代議員会議が設置された。72年には選挙を実施して505名の代議員を選出,新しい憲法が採択された。…
※「トリホス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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