トレス(英語表記)Camilo Torres Restrepo

改訂新版 世界大百科事典 「トレス」の意味・わかりやすい解説

トレス
Camilo Torres Restrepo
生没年:1929-66

コロンビアのカトリック神父,社会学者。ボゴタの名門の出身で,幼少時より困窮者の救済組織や靴磨き少年の互助会の結成など,社会奉仕に挺身した。ボゴタの神学校で学んだ後,ベルギーのルーバン大学で社会学,特に都市の貧困問題を研究。帰国後,首都の国立大学の礼拝堂付司祭となると同時に,新設の社会学部の学部長に就任した。1962年大学紛争で大学を去り,農事研究所や全国農地改革指導委員会のメンバーとなって,モデル農場の創設や労働者の協同組合の組織化に尽力した。65年,農業問題の解決を求めて,統一戦線の結成を呼びかけたが,共産主義者との協力や暴力を肯定する考え方のために失敗。教会や既存の政治集団と決別した彼は,カストロ派民族解放軍ゲリラ組織に加わり,農民の教育を担当した。66年2月15日サンタンデルで政府軍と交戦中に死去。
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トレス
Luis Váez de Torres

17世紀初めころ,太平洋で活躍したスペイン航海者生没年不詳。オーストラリア大陸北端のヨーク岬とニューギニア島南岸との間の海峡を,1606年初めて航行したことで知られ,この海峡は彼にちなんでトレス海峡と命名された。黄金郷があると信じられた幻の南方大陸探索に向かったキロスの船隊から分かれたトレスが,フィリピンに回航する途上のことであった。残された航海記録によると,彼はオーストラリア大陸北岸を視認していたが,それを海峡に多数存在する島の一つであると考え,大陸の一部とは気づかなかった。
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トレス
Cosme de Torres
生没年:1510-70

スペイン人イエズス会士バレンシア生れ。1534年司祭叙階,46年アンボイナ島でザビエルに会い,48年ゴアでイエズス会に入会。翌49年(天文18)ザビエルに同行して来日,ザビエルが去ってから日本布教長として山口に布教した。陶(すえ)氏の乱後,豊後に移り,63年(永禄6)横瀬浦大村純忠に授洗,口之津,大村,天草の志岐で活動を続けたが,70年(元亀1)過労のため志岐で没した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「トレス」の意味・わかりやすい解説

トレス(Camilo Torres Restrepo)
とれす
Camilo Torres Restrepo
(1927―1966)

コロンビアのカトリック神父、社会学者。聖職にありながら社会改革に取り組み、ゲリラに身を投じたところから「解放の神学者」の先駆者の一人といわれる。ボゴタの名門出身で、ローマ・カトリック神学校で学んだのち、1954年ベルギーのルーバン大学で社会学、とくに都市の貧困問題を研究した。1959年末に帰国し、司祭を務めるかたわら国立大学に社会学部を創設、その部長となった。1962年大学紛争で教職を捨て、農地改革局のメンバーとして土地改革などに取り組んだ。1965年、社会改革のためには権力を握らなければならないという考えからゲリラ組織の民族解放軍に加わり、1966年2月政府軍との戦闘で死亡した。

[後藤政子 2017年11月17日]


トレス(Luiz Váez de Torres)
とれす
Luiz Váez de Torres

生没年不詳。スペインの航海者。一説にフランス生まれ。1605年12月、幻の南方大陸を求めてペドロ・フェルナンデス・デ・キロスPedro Fernández de Quirós(1565―1615)に従いペルーのカヤオを出航、翌1606年6月キロスと別れて南緯21度まで下る。大陸発見はならず北西に転じ、ヨーロッパ人として初めてオーストラリア大陸北端とニューギニア島南岸間の海峡(のちのトレス海峡)を通過。同大陸を見たとしても、島と錯覚した可能性が高い。モルッカ諸島を経て1607年5月マニラに到着。その後同地で死亡したらしい。

[越智道雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トレス」の意味・わかりやすい解説

トレス
Torres, Cosme de

[生]1497. バレンシア
[没]元亀1(1570).10.2. 天草,志岐
スペインのイエズス会司祭,日本布教長。トルレスとも読む。インドで F.ザビエルに会い,1548年イエズス会に入会。翌 49年ザビエルとともに来日,ザビエル離日後は布教長として山口を中心に布教にあたり,5年間に武士を含む約 2000名の信者を獲得したが,天文 23 (1554) 年山口内乱のため豊後府内に本拠を移した。「慈悲の所作」のための組 confrariaを組織して救貧事業にあたるとともに,上層部の教化による全国改宗政策をも採用,京都開教に努力した。

トレス
Torres, Luis Váez de

17世紀のポルトガルの航海者。オセアニア開発の先駆者。スペイン王フェリペ3世の派遣した探検隊の残した船でオーストラリアの東海岸,トレス海峡を航行し (1606) ,オーストラリア大陸の最北端ヨーク岬を望見したといわれている。

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百科事典マイペディア 「トレス」の意味・わかりやすい解説

トレス

コロンビアのカトリック神父,社会学者。ボゴタの名門の出身で,神学校で学んだ後,ベルギーで社会学,都市の貧困問題を学び,帰国後,国立大学の社会学部長に就任したが1962年大学紛争で大学を去る。全国農地改革指導員会のメンバーとして活動し,農業問題の解決のための統一戦線の結成を提唱したが,共産主義者との提携や暴力革命肯定という考え方に立ったためこの提唱は失敗に終わる。以後,教会や既成政治集団と決別して,カストロ派の民族解放軍のゲリラ組織に投じ,1966年2月,政府軍との戦闘中に死去。

トレス

スペイン人宣教師,イエズス会士。日本布教長。1549年ザビエルとともに来日,山口,豊後で布教,教会創設50に及ぶ。大村純忠に授洗した。天草の志岐で没。

トレス

17世紀初めのスペインの航海者。生没年不詳。南太平洋を探検し,1606年オーストラリアとニューギニアの間のトレス海峡を初めて航行した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「トレス」の解説

トレス
Cosme de Torres

1510~70.9.3

スペインのバレンシア生れのイエズス会宣教師。1549年(天文18)ザビエルとともに鹿児島に上陸。51年ザビエル離日後,その後任者となる。豊後の大友宗麟の保護をうけた。63年(永禄6)大村純忠に授洗。鹿児島・山口・豊後などで布教し,20年近く日本布教の責任者を勤めた。ザビエルの布教方針を継承して日本への適応主義を実践し,3万人に授洗したという。70年(元亀元)カブラルにその職責を譲り,肥後国天草の志岐で没。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「トレス」の解説

トレス Torres, Cosme de

トルレス

トレス Torres, Balthazar de

トルレス

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367日誕生日大事典 「トレス」の解説

トレス

生年月日:1919年5月5日
ボリビアの軍人,政治家,大統領
1976年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のトレスの言及

【キリシタン】より

…彼が滞日した2年3ヵ月間の受洗者は約1000名にすぎないが,彼は戦国社会の現実に即応した布教方針のもとに領主層に接近を図り,教理の説明には仏僧の非難を避けて仏教用語の援用をやめ,ラテン語とポルトガル語をそのまま使うことにした。
[布教の進展]
 ザビエルの後継者トレスは山口より豊後府内に本拠を移し,のちイエズス会員となったアルメイダの援助を得て病院等を経営した。布教活動はポルトガル船の定期的来航に伴い西南九州に進展した。…

※「トレス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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