トルレス(読み)とるれす(英語表記)Cosme de Torres

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トルレス」の意味・わかりやすい解説

トルレス
とるれす
Cosme de Torres
(1510―1570)

スペインイエズス会宣教師。バレンシア出身。当初ラテン語教師をしたのちメキシコへ渡り、さらに1542年ビラロボスRuy López de Villalobos(1500ころ―1544)のモルッカ諸島探検航海に同行。インドザビエルに会って、ゴアでイエズス会に入会した。1549年(天文18)ザビエルとともに鹿児島上陸。以後日本での布教活動に一生を捧(ささ)げた。1551年の陶晴賢(すえはるかた)反乱渦中にあった山口教区を管理するなど、ザビエル離日後の日本布教長として宣教師の活動を援助、指導し、教会の建設に努めた。日本人の風俗習慣、気質、食事に通じ、その温厚な人柄と相まって布教の実をあげ、大村純忠(おおむらすみただ)をはじめ約3万人に洗礼を授けたと伝えられる。志岐(しき)(熊本県)で没した。

[磯見辰典 2018年2月16日]

『シュールハマー著、神尾庄治訳『山口の討論』(1964・新生社)』『ジョアン・ロドリーゲス著、池上岑夫他訳『大航海時代叢書第10 日本教会史 下巻』(1970・岩波書店)』『ルイス・フロイス著、柳谷武夫訳『日本史 第1巻』(平凡社・東洋文庫)』

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朝日日本歴史人物事典 「トルレス」の解説

トルレス

没年元亀1.9.3(1570.10.2)
生年:1510
スペイン人イエズス会士。ザビエルと共に天文18(1549)年に来日,彼の離日後は日本布教長。ザビエルと同様,日本文化を高く評価し適応主義を継承。ロレンソ,アルメイダをイエズス会に受け入れるなど宣教師の育成にも意を用い,大友,大村,有馬ら戦国大名の保護を得ながら初期教会の基礎を固めた。特に京都布教の着手と進展,キリシタン大名大村純忠の受洗,横瀬浦から長崎港に至るポルトガル貿易港の開港にはトルレスの貢献が大きい。元亀1(1570)年,志岐(熊本県天草)の宣教師会議でカブラルに後事を託し,その地で没した。<参考文献>ディエゴ・パチェコ『長崎を開いた人―コスメ・デ・トーレスの生涯』

(片岡千鶴子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「トルレス」の解説

トルレス Torres, Cosme de

1510-1570 スペインの宣教師。
1534年司祭。インドでザビエルにあい,1548年ゴアでイエズス会にはいる。天文(てんぶん)18年(1549)ザビエルとともに鹿児島に上陸。ザビエル離日後も日本布教長として山口,豊後(ぶんご)(大分県)で布教にあたる。大村純忠(すみただ)をはじめ約3万人に洗礼をさずけた。元亀(げんき)元年9月3日肥後(熊本県)天草の志岐で死去。60歳。バレンシア出身。

トルレス Torres, Balthazar de

1563-1626 スペインの宣教師。
1563年12月14日生まれ。イエズス会士。1586年帰国途中の天正(てんしょう)遣欧使節とともにインドへわたり,ゴアで司祭となる。慶長5年(1600)来日,京都,大坂,金沢で布教。18年禁教令がでたあとは大坂周辺にかくれていたが,寛永3年長崎で捕らえられ,同年閏(うるう)4月26日火刑に処せられ殉教。62歳。グラナダ出身。

トルレス Torres, João de

城ジョアン(じょう-ジョアン)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「トルレス」の解説

トルレス

トレス

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トルレス」の意味・わかりやすい解説

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