チリの小説家。10月5日首都サンティアゴに生まれる。医者の長男として名門校に入ったが19歳のとき中退、南米南端の各地を放浪し、23歳で改めて高校を卒業、チリ大学に進み、さらにプリンストン大学へ留学、英文学を学んだ。帰国後、英語教師をしながら本格的に小説と取り組み、1955年に短編集『避暑』を自費出版し、サンティアゴ市短編文学賞を得た。第二短編集『二つの物語』(1956)、長編『戴冠式(たいかんしき)』(1957)を出したあと、ブエノス・アイレスを訪れ、ボルヘスをはじめとする新しい文学の息吹に触れた。60年に帰国し、『エルシージャ』誌の文芸批評を担当、短編集『チャールストン』(1960)を書いたが、古い文学的伝統に縛られたチリを離れ、64年メキシコに移り、中編『境のない土地』(1966)、『この日曜日』(1966)を発表した。その後アメリカのアイオワ大学に籍を置いたが、67年スペインに渡り、マジョルカ島を経てバルセロナに落ち着いてから、構想以来8年の歳月を費やした大作『夜のみだらな鳥』(1970)を完成、ラテンアメリカ有数の作家の地位を確立した。ここに至るドノソの小説家としての歩みは、60年代に花開いたラテンアメリカ文学の軌跡を分析した評論『ラテンアメリカ文学のブーム』(1972)に詳しい。その後の作品に短編集『ブルジョア小説三編』(1973)、長編『別荘』(1978)、中編『ロリア侯爵夫人の謎(なぞ)の失踪(しっそう)』(1980)、長編『隣家の庭』(1981)、中編集『デルフィナのための四重奏』(1983)がある。
[内田吉彦]
『鼓直訳『ラテンアメリカの文学11 夜のみだらな鳥』(1984・集英社)』▽『内田吉彦訳『ラテンアメリカ文学のブーム――一作家の履歴書』(1983・東海大学出版会)』
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