日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドラローシュ」の意味・わかりやすい解説 ドラローシュどらろーしゅPaul Delaroche(1797―1856) フランスの画家。本名Hyppolyte Delaroche。パリに生まれ、同地に没。最初グロに学び、ジェリコーの忠告に基づいて歴史画を制作。1822年のサロンへのデビュー以後、歴史画にメロドラマ風の題材を盛り込んで名声を博し、31年の『エドゥワールの息子たち』(ルーブル美術館)でアカデミー会員になった。宗教画、壁画など多様な活動をしたが、同時代にすでにロマン主義と古典主義の妥協とみなされていた彼の画風は、19世紀前半のアカデミズムの一つの典型であった。[中山公男][参照項目] | グロ | ジェリコー 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドラローシュ」の意味・わかりやすい解説 ドラローシュDelaroche, (Hippolyte-)Paul [生]1797.7.17. パリ[没]1856.11.4. パリフランスの歴史画家。 A.グロの弟子。 1822年のサロンに初出品。ロマン派の一人であり,洗練された画風で人気を博した。 32年エコール・デ・ボザールの教授。代表作『エドワードの息子たち』 (1830,ルーブル美術館) ,『ギーズ侯の暗殺』 (35) など。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報