ダビッド(読み)だびっど(英語表記)René David

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダビッド」の意味・わかりやすい解説

ダビッド(Jacques Louis David)
だびっど
Jacques Louis David
(1748―1825)

フランスの画家。大革命前からナポレオンの没落まで、新古典主義の指導者として、19世紀絵画の発端を形成した。パリに生まれる。聖ルカ組合に、ついでアカデミー・サン・リュックでジョゼフ・ビアンの教室に学び、数度の失敗ののち、1774年ローマ賞を受け、翌年ビアンとともにイタリアに行く。古代、ルネサンスの作品に深い感動を覚え、同時に当時の新古典主義の思潮に促され、パリの修業時代とはまったく逆に新古典主義を探究して80年帰国。翌年よりサロンに出品、83年にアカデミー会員となるが、最終的に再度のイタリア旅行で仕上げられた『ホラティウス兄弟の誓い』(1785サロン出品・ルーブル美術館)によって、テーマ的にも題材的にも新しい美学を確立し、新古典派を統率することとなる。古代風の英雄主義的モラル、色彩に対する形態や線の優位は、以後19世紀なかばに至るまでアカデミズムの基本的な原理となった。

 こうした画風を生み出させた背景は、大革命からナポレオン時代へと展開するが、ダビッドはジャコバン党員、国民議会議員などの革命時の多彩な活動、ロベスピエール没後の二度の投獄、そしてナポレオンの首席画家、王政復古後のブリュッセル亡命(1816)という変転を経験する。大革命時の芸術活動は『マラーの死』(1793・ブリュッセル王立美術館)、ナポレオンの画家としては『ナポレオンの戴冠(たいかん)』(1805~07・ルーブル美術館)などがあり、単なる古典主義者ではない、現実の歴史の目撃者としてのダビッドの視覚の確かさや構想力の大きさを伝える。また、やはり古典主義の名作の一つ『サビニの女たち』(1799・ルーブル美術館)は投獄中に構想された。ブリュッセル亡命後は、王政との和解を拒否し、同地に没する。パリ時代以来、彼のアトリエはジロデ、ジェラール、グロなど多くの弟子を育成し、古典派、ロマン派の双方に影響を与えた。肖像画家としても優れ、『ラボアジエ夫妻像』(1788・メトロポリタン美術館)など同時代人を的確に見つめている。

中山公男

『大島清次解説『新潮美術文庫19 ダヴィッド』(1976・新潮社)』



ダビッド(René David)
だびっど
René David
(1906―1989)

フランスの法学者。パリに生まれる。パリ大学卒業後、グルノーブル大学、パリ大学、エクス・マルセイユ大学において比較法の講義を担当した。ナポレオン法典制定(1804)以降、法学者が自国の法の研究のみに専念してきたことに警鐘を鳴らし、国際関係があらゆる領域において重要性を帯びてきている現実を踏まえ、真の法文化構築のためには外国法に配慮することが必要だと説いた。そして法学に国境はないと指摘し、正義と平和を基調とする比較法研究の現代的意義を強調した。主著『比較民事法原論』Traité élémentaire de droit civil comparé(1950)において、宗教上、哲学上の相違等に基づいて現代世界の法を分類した。ヨーロッパ大陸法と英米コモン・ローの相違は法技術上の相違によるものであると指摘し、両者を西洋法として統一的に把握した。これを大学の講義のために要約した著書が『現代の主要法体系』Les grands systèmes de droit contemporains(1964)である。そのほか、フランスの法的伝統、立法・行政・司法、法曹、法概念、法源などについて論じた『フランス法』Le droit francais(2巻。1960)がある。

[野村敬造・畑 安次]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダビッド」の意味・わかりやすい解説

ダビッド
David, Jacques-Louis

[生]1748.8.30. フランス,パリ
[没]1825.12.29. ベルギー,ブリュッセル
フランスの画家。新古典主義(→新古典主義美術)の創始者,指導者。フランソア・ブーシェ,ジョゼフ=マリー・ビアンに師事,1774年ローマ大賞を得てイタリアに留学(1775~80)。初めボローニャ派の作品を学んだが,しだいに古典主義(→古典主義美術)に傾倒した。帰国後,最初の大作『ホラチウス兄弟の誓い』(1784~85,ルーブル美術館)を発表。ルイ16世の宮廷画家となったが,フランス革命時代はジャコバン党員(→ジャコバン派)として革命に味方し投獄された。その後ナポレオン1世の台頭とともにその寵を受け,皇帝の首席画家となって画壇に君臨。古典彫刻における厳正な構図と形式を重視して,社会的,歴史的な題材を精緻な筆致で描いた。門下にはフランソア・ジェラール,アントアーヌ=ジャン・グロ,ジャン・アングルなどがいる。ナポレオンの失脚後は追放され,1816年ブリュッセルに亡命,同地で没した。その他の主要作品に『マラーの死』(1793,ベルギー王立美術館),『サビニの女たち』(1799,ルーブル美術館),『レカミエ夫人像』(1800,ルーブル美術館),『ナポレオン1世の聖別式』(1805~07,ルーブル美術館)など。

ダビッド
David, Félicien-César

[生]1810.4.13. カドネ
[没]1876.8.29. サンジェルマンアンレ
フランスの作曲家。イエズス会の学校で音楽を学び,エクサンプロバンスのサンソベール大聖堂の聖歌隊指揮者を経て 1830年パリ国立音楽院に入学した。翌 1831年にサン=シモン伯爵の社会主義運動に加わり,同派の儀礼音楽を作曲。1833~35年中東を旅行し,帰国後東洋音楽の要素を取り入れた合唱曲,交響曲,オペラなどを作曲した。代表作は交響詩『砂漠』Le Désert(1844)。ダビッドの音楽はエクトール・ベルリオーズ,カミーユ・サン=サーンスに称賛され,またジョルジュ・ビゼーの『ジャミレー』Djamileh(1872)やジュゼッペ・F.F.ベルディの『アイーダ』Aida(1871)などのオペラに影響を与えた。

ダビッド
David, Pierre-Jean

[生]1788.3.12. アンジェ
[没]1856.1.5. パリ
フランスの彫刻家。通称 David d'Angers。 19世紀初頭の新古典主義に反対し,ロマン主義彫刻を主唱した代表的彫刻家。 17歳でパリに出て P.ローランに師事,1811年ローマ大賞を受けイタリアに遊学,一時 A.カノーバのもとで制作した。 16年パリに帰り,穏健な写実的技法により多くの肖像彫刻,メダルを制作,その数は 500をこえる。政治にも深い関心を示し,一時議員に選ばれたが,ナポレオン3世によりベルギーに追放された。作品にはパリのパルテノンの破風彫刻 (1835~37) のほか,コンデ公,ゲーテ,ベンサムなど有名人の肖像が多い。

ダビッド[ディナン]
David de Dinant

13世紀初頭のスコラ哲学者。その生涯はほとんど不明。彼の著書は,1210年汎神論のかどでパリ教会会議で異端とされ,燃やされた。彼の説は,トマス・アクィナスの著作のなかで批判されているが,それによれば彼は存在を物体,精神,神に3分し,論理学的原理を用いて3者を同一とみなしたという。

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