ドリオ(その他表記)Jacques Doriot

改訂新版 世界大百科事典 「ドリオ」の意味・わかりやすい解説

ドリオ
Jacques Doriot
生没年:1898-1945

フランスの政治家。鍛鉄工の息子としてオアーズ県に生まれ,パリに出て製鋼労働者となった。はじめ社会党で活躍,社会党の分裂後はフランス共産党に所属して共産青年同盟の指導者となり,ルール占領,モロッコ戦争に激しく反対してたびたび投獄された。1924年以降党中央委員となり,コミンテルンの執行委員にもなったが,トレーズら党主流と対立して34年6月除名され,36年には親独反ソのファシスト党フランス人民党創立,作家のドリュ・ラ・ロシェルらがこれに参加した。第2次大戦中はドイツの占領下で積極的な対独協力を行い,自ら東部戦線に参加したりしたが,45年2月,国籍不詳の飛行機に銃撃されて死亡した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドリオ」の意味・わかりやすい解説

ドリオ
Doriot, Jacques

[生]1898.9.16. オワーズ,ブレスレ
[没]1945.2.22. メムニンゲン
フランスの政治家。金属機械工として青年共産同盟に参加,のちフランス共産党中央委員。 1924年下院議員およびサンドニ市長。 27年扇動罪で入獄。 33年社会党と統一反ファシスト戦線の結成を提唱,時期尚早として中央委員会から追放,34年コミンテルンからも追放された。 36年作家の J.ロマン,酒造業者ヘネシーらの援助を受け反共のファシスト政党フランス人民党を創設したが,37年法相によりサンドニ市長を罷免され,下院議員も辞職。第2次世界大戦でのフランス降伏後ビシー政権の対独接近を支持,41~42年義勇軍を組織して東部戦線でソ連軍と戦った。 44年フランス解放後ドイツに逃れたが 45年連合軍機の機銃掃射で死亡。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドリオ」の意味・わかりやすい解説

ドリオ
どりお
Jacques Doriot
(1898―1945)

フランスの政治家。金属労働者として10代で社会主義運動に飛び込み、1922年には共産主義青年同盟書記長に就任。ルール占領やモロッコ戦争に反対して再三投獄され、共産党の反植民地主義の象徴となった。1934年春以後は党中央より4か月早く社共統一戦線を主張してトレーズら多数派と衝突し党を除名された。一転して1936年にはファッショ的政党フランス人民党(PPF)を創立し、第二次世界大戦下では対独協力を鼓吹して自ら東部戦線でソ連軍と戦った。大戦末期には在ドイツの亡命政権「フランス解放委員会」の首領と認められたが、空襲で死亡した。

[平瀬徹也]

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世界大百科事典(旧版)内のドリオの言及

【ファシズム】より

…30年代の世界恐慌(大恐慌)は,そうした動きをさらに世界中に広める役割を果たした。 独伊両国のほかには,第3の強力なファシズム運動であったルーマニアの〈鉄衛団〉や,ハンガリーの〈矢十字党〉,イギリスのモーズリーOswald Ernald Mosley(1896‐1980)の〈イギリス・ファシスト同盟〉,フランスのドリオの〈フランス人民党〉,スペインの〈ファランヘ党〉などが知られている。日本では,ファシズムの思想やそれに基づく一定の動きはあったが,〈下からの〉大衆運動としてのまとまった展開はみられなかった。…

※「ドリオ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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