ドルゴルスレン・ダグワドルジ(その他表記)Dolgorsürengiin Dagvadorj

現代外国人名録2016 の解説

ドルゴルスレン・ダグワドルジ
Dolgorsürengiin Dagvadorj

職業・肩書
力士(第68代横綱)

国籍
モンゴル

生年月日
1980年9月27日

出身地
ウランバートル

別名
四股名=朝青龍 明徳(アサショウリュウ アキノリ)

学歴
明徳義塾高中退

勲章褒章
スフバートル勲章(モンゴル)〔2005年〕, モンゴル労働英雄賞〔2009年〕

受賞
日本プロスポーツ大賞〔2005年〕,毎日スポーツ人賞(グランプリ)〔2005年〕,朝日スポーツ賞(2005年度)

経歴
父と次兄モンゴル相撲の力士という相撲一家に育つ。少年時代から柔道やモンゴル相撲に励み、モンゴル相撲ではジュニアクラスのチャンピオンに。高知・明徳義塾高相撲部のスカウトを受け、1997年9月来日。若松親方(元大関朝潮,現・高砂親方)に才能を見出され、高校を2年で中退して若松部屋(現・高砂部屋)に入門。’99年初場所初土俵。シコ名・朝青龍明徳は高校時代から縁のある高知県の青龍寺からとり、名前は高校名にちなむ。幕下6場所目の2000年名古屋場所で優勝し、わずか10場所目の秋場所で新十両。九州場所で11勝4敗の好成績を残し、2001年初場所で史上最速タイの12場所目での新入幕を果たす。夏場所では初の三役となった西小結で8勝7敗、1横綱4大関を破る活躍で殊勲賞を獲得。2002年初場所新関脇。名古屋場所で12勝を挙げ、秋場所からモンゴル出身力士初、また史上最速の22場所で大関に昇進。大関2場所目の九州場所では14勝1敗で幕内史上最速タイとなる24場所で初優勝。2003年初場所で2場所連続優勝し、大関在位3場所で、モンゴル出身力士初、史上最速の25場所で第68代横綱に昇進。土俵入りは雲竜型。夏場所、秋場所も優勝したが、夏場所でモンゴル人力士の先輩・旭鷲山に敗れ物言いを要求、翌名古屋場所では旭鷲山の髷をつかんで横綱として史上初の反則負けを喫した。その後、2004年初場所から史上初の7場所連続優勝の偉業を達成。その後も優勝を重ね、2007年初場所で4連覇と史上5人目の20度目の優勝。初土俵から所要49場所、新人幕から同37場所、初優勝から同26場所目での20場所優勝は、いずれも大鵬の記録を更新した。夏場所で幕内通算勝率が8割に到達。昭和以降で勝率8割を記録したのは大鵬と双葉山だけ。一人横綱として武蔵丸(第67代横綱,現・振分親方)引退後の角界を支えてきたが、名古屋場所で白鵬が新横綱となり、これを下して3場所ぶりに優勝。怪我で夏巡業の休場届を出しながら、母国モンゴルでサッカーに興じていたことが発覚、2場所出場停止と4ケ月間減俸、九州場所千秋楽までの謹慎と、現役横綱としては異例の処分を受けた。謝罪会見では自らの非を認め、横綱としての態度、行動を改善し、品格を磨いて、一から出直すことを宣言。2008年復帰場所となった初場所で4場所ぶり22度目の復活優勝を遂げた。3場所連続休場から復帰し進退を懸けて臨んだ2009年の初場所では千秋楽で白鵬に敗れ14勝1敗で並んだが、優勝決定戦を寄り切りで制し、5場所ぶり23度目の優勝。2010年初場所で歴代単独3位の25回目の幕内優勝を飾ったが、2月に初場所中の暴行問題で横綱審議会設置60年で初めて“引退勧告書”が出され、これを受け現役を引退。歴代3位25回の優勝回数を誇り、スポーツ選手として類まれな身体能力や闘争心を持ち、圧倒的な強さで角界に君臨したが、一方で数々の問題を起こし“品格”を問われ続けた横綱だった。2009年4月永住権を取得したが、日本国籍を持っていないため、協会には残らなかった。生涯成績は669勝173敗76休(67場所)、幕内通算596勝153敗76休(55場所)。横綱在位42場所、幕内優勝25回、幕下優勝1回、三段目優勝1回、序二段優勝1回、殊勲賞3回、敢闘賞3回、金星1個。初顔相手の連勝記録33もある。得意技は突き、押し、右四つ、寄り、上手投げ。現役時代は184センチ、154キロ。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

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