人類史のはじめの段階で,粗野な形態で共産主義の諸原則を実現していると考えられた社会体制。共産主義は,生産手段の共有と生産・分配の共同性をもち,経済的搾取と政治的抑圧のない平等社会である。マルクス経済学が未来に構成する共産制は,(1)大工業の発展による高度の生産力を前提とし,(2)土地および労働の所産たる生産手段の共有と協業を基礎とし,(3)経済の社会化,計画化を,(4)自由な諸個人の自分の意志による連合を通して実現する社会である。これに対して原始共産制は,人類史の初期の社会状態に対する後代の理論的構成物であるが,次のような点で共産主義の諸原則を実現しているとされる。すなわち(1)搾取の余地のない生産力の低位を前提とし,(2)食糧・道具・武器の,自然の供給源であり住居でもある大地を,人間集団が共同で占拠し外敵に対して防衛するという意味での〈共有〉を基礎とし,(3)経済の自然的社会性(貨幣関係を媒介しない共同労働と直接消費)が,(4)諸個人の共同体への埋没(個人的人間の未成熟)によって実現している。それは人類が定着経済(牧畜,農耕)を開始する以前(これまでの人類史の大部分)にあたる。定着経済の開始とともに原始共産制は解体を始める。すなわち,なお土地占取,防衛,水利工事あるいは放牧地利用や農事暦などの点で共同体は機能しつづけるが,かたわら生産的労働・経営の単位は個別家族に移り,したがって基本的な生産手段(家畜,耕地)は私的所有ないし私的占有の対象となり,生産物は個別に消費される。原始共産制から階級的社会構成への歴史は,共同体的所有と共同性に対して,私的所有と個別性が対立・闘争しつつ発展する過程であり,個人的人間は近代市民社会においてようやく自立する。
原始共産制の下での経済的搾取と政治的抑圧という二つの不平等がない社会状態は,近代にいたり,ようやく自立しつつあった個人的人間の幻想として,まず18世紀に,自由な原始的な孤立人としてえがかれた(ルソー《人間不平等起源論》1753)。19世紀後半になるとスラブ人,ドイツ人の土地を共有する共同体の〈遺制〉が研究され,インドの村落共同体研究とあいまって,自由で平等な原始的種族団体が人類史のはじめに設定されるようになる。しかし種族は,ヨーロッパ人の記憶にまだ新しくかつ旧約聖書に知られた家族形態すなわち家父長制家族の拡大したものと考えられ,したがってこの原始的共産制は,婦人・子どもの家父への隷属,および奴隷制をともなうものと考えられた(エンゲルス《反デューリング論》1878)。L.H.モーガンの《古代社会》(1877)は,血縁にもとづく自然的共同体(氏族,部族)こそ本源的な人間の社会的結合であり,夫婦という非血縁関係を中核とする家族は,第2次的な関係で,しかも本来の血縁共同体に対立し,その解体にともなって成長してくる新しい関係であること,血縁共同体は本来は母系制であることを示した。これによれば原始共産制は婦人の隷属も奴隷制も知らない真の平等社会ということになる(エンゲルス《家族,私有財産および国家の起源》1884)。モーガン,エンゲルスの構想および素材については今なお論争されている。原始共産制の理論は,実証的研究に支えられて形成されてきたものではあるが,しかし未来への展望をふくむ人類史の構想と結びついている。しかし〈平等〉〈能力に応じて働き必要に応じて受け取る〉〈国家の不在〉といった共産主義の諸原則は,原始共産制の下では,絶対的貧困と私的個人の未成立にもとづいており,自覚した諸個人の協働の結果ではないことは留意されるべきである。
執筆者:熊野 聰
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主として理論的に人類の原始時代に想定されている共産主義。政治的抑圧と経済的不平等のない、したがって国家と私有財産のない理想郷は、啓蒙(けいもう)思想によって、自由で孤立した原始人の世界として描かれた(ルソー『人間不平等起源論』1753)。19世紀なかばを過ぎると、ロシアやドイツの土地を共有する村落共同体が研究され、それらはスラブ人、ゲルマン人の原始共産制の遺制と考えられた。またインドの村落共同体も当時の素朴な進化論的歴史観によって、ヨーロッパ諸国民が歴史発展の出発点にもっていた社会と同一視された。こうして人類史は、孤立人ではなく土地共有の共産主義的共同体をもって始まると考えられるようになった。当初この共同体は家父長制的家族の拡大した種族団体で、したがって平等といっても家長たちの間のことで、婦人の隷属と奴隷制が付随するものとされていたが、ルイス・モーガン『古代社会』(1877)によって、種族は家族より早く現れ、しかも血統はむしろ母系を本源的なものとすると主張され、かくて原始制は婦人の隷属も奴隷制も知らないまったく自由で平等な社会とされた。それは生産手段の共有、生産物の平等な分配、能力に応じて働き必要に応じて受け取る原則をもち、だれも他人に隷属していない点で共産主義的であるが、マルクス主義が未来に展望する共産主義が大工業の発展によるあり余る生産力を前提するのに対し、ここでは搾取の可能性さえない生産力の低さを基礎とし、また未来では自由な諸個人がその力を自覚的に結合する連合であるのに対し、ここでは個人格は未成立で共同体へ埋没している点で原始的である。この理論の実証上の基礎となった事実認識の多くは今日では疑われている。しかし人類はなんらかの群・社会をもって歴史を始めたこと、絶対的貧困には搾取が成立しないことから、原始共産制の理論はなお有効である。
[熊野 聰]
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…すべての争いはその当事者の全体,すなわち氏族または部族が,もしくは個々の氏族同士の間で裁決する〉と述べている。 このエンゲルスの著書以来,氏族社会をいわゆる〈原始共産制〉の時代として,かつてマルクスが〈アジア的・古代的・封建的・近代ブルジョア的〉と名づけた階級社会の継起的発展系列に先だつ,人類社会発展の最初の段階をなすものと規定する考え方が,多くの社会経済史学者の間に支配的となった。とくにソ連邦の歴史学・民族学界においては,氏族社会の研究は,地域共同体のそれとともに,古代階級国家の形成にいたるまでの社会進化の一般的形式の究明という目標に向かっておこなわれてきた。…
※「原始共産制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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