ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー
The Nagasaki Shipping List and Advertiser
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
Sponserd by 
ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー
ながさきしっぴんぐりすとあんどあどばたいざー
The Nagasaki Shipping List and Advertiser
1861年(文久1)6月22日付けで長崎で創刊されたわが国最初の英字新聞。発行者はイギリス人ハンサードA. W. Hansardで、水・土曜の週2回刊。内容は長崎居留地内のできごとのほか、海外の新聞記事を転載、世界のニュースを伝えている。だがハンサードは、将来の貿易の中心地は新興横浜であると見通し、同紙を10月1日付けの第28号で終刊、同年11月23日付けから横浜で『ジャパン・ヘラルド』The Japan Herald(週刊、土曜発行)を発行した。ハンサードはまもなく帰国したが、この新聞は明治時代を通じて長く存続、第一次世界大戦が始まった1914年(大正3)、敵国ドイツ寄りを理由に9月14日政府から発行を禁止された。
[春原昭彦]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー
The Nagasaki Shipping List and Advertiser
日本最初の英字新聞。文久1 (1861) 年5月 15日 (6月 22日付) イギリス人の A.ハンサードが長崎で創刊。週2回刊。ハンサードはニュージーランドで新聞発行の経験があり,同年に来日。この新聞は長崎に寄港する船舶の予定が記されており,外人居留民に読まれたが,8月 27日 (10月1日付) 28号で廃刊され,ハンサードは横浜に移って,文久3年 10月 21日 (11月 23日付) 『ジャパン・ヘラルド』 The Japan Heraldを創刊した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内のナガサキシッピングリストアンドアドバタイザーの言及
【英字新聞】より
…英字紙ともいう。1861年(文久1)6月,長崎在住の外国人のためにイギリス人ハンサードA.W.Hansardが創刊した《ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザーThe Nagasaki Shipping List and Advertiser》(週2回刊)が最初。同時にこれは日本での最初の新聞でもあった。…
【英字新聞】より
…英字紙ともいう。1861年(文久1)6月,長崎在住の外国人のためにイギリス人ハンサードA.W.Hansardが創刊した《ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザーThe Nagasaki Shipping List and Advertiser》(週2回刊)が最初。同時にこれは日本での最初の新聞でもあった。…
【居留地新聞】より
…本来は,居留地の人々を対象として居留地外国人の発行した新聞を意味するが,そのほか,居留地外国人が治外法権を利用して発行した日本人対象の日本語新聞も,居留地新聞と呼ばれる。居留地新聞としては,1861年(文久1)6月長崎で創刊された英字紙《[ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー]The Nagasaki Shipping List and Advertiser》が最も早く,週2回刊で同年10月までに28号を発行した。発行者のイギリス人貿易商ハンサードA.W.Hansardは,同年11月には横浜で後継紙《ジャパン・ヘラルドThe Japan Herald》を創刊している。…
【新聞広告】より
… 新聞広告の起源は,17世紀前半のイギリス,オランダなどの《[ニューズブック]》などにも求められるが,1650年イギリスの新聞《完全な日録》に載った,盗まれた馬捜しの懸賞広告で,新聞広告料金をとったことが確かめられている。日本では1861年(文久1),長崎在住のイギリス人A.W.ハンサードが《[ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー]》という日本最初の英字新聞を発行し,第1面を広告ページとした。邦字新聞では,《横浜新聞》(1863)が,翻訳紹介のかたちで初めて広告を掲載した。…
※「ナガサキシッピングリストアンドアドバタイザー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 