ナショナル・ポリシー(読み)なしょなるぽりしー(その他表記)National Policy

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナショナル・ポリシー」の意味・わかりやすい解説

ナショナル・ポリシー
なしょなるぽりしー
National Policy

1879年、カナダ議会が採用した保護関税の別称。カナダ初代首相を務めたJ・A・マクドナルド(保守党)の提唱によるもので、自由貿易全盛のイギリス帝国のなかにあってカナダが保護関税政策をとったこと、および以後若干の修正は加えられたものの自由党の統治下にも存続し、のちまでカナダの経済構造路線を決定したことで重要である。

 1867年にイギリスから「独立」を達成したカナダ自治領において、いかなる経済原則を国家政策(ナショナルポリシー)として採用するかについては、非常に議論の分かれるところであった。当時の風潮にあっては、自由党は当然のこと、保守党も自由貿易、もしくは少なくともアメリカ合衆国との互恵通商を国策としていたが、1866年カナダ・アメリカ互恵条約の終焉(しゅうえん)がもたらされ、また成長を遂げつつある製造業者の推進もあずかって、1878年に保守党は総選挙に備えて「ナショナル・ポリシー」を提唱、政権復帰を遂げた。「ナショナル」の名にこたえて製造工業品のみならず、石炭など保護を要する一次産品などの関税率をもあげた点に特色がある。カナダ経済の自立を図った政策として評価されてきたが、1950年代以降カナダ工業の保護は、関税障壁を避けるためのアメリカ工業のカナダ内部における支工場建設を招いたとして、批判を受けることになった。なお1918年にカナダ農業評議会が、自由貿易こそカナダのとるべき政策として、農民のための「新ナショナル・ポリシー」を発表したことが注目される。

大原祐子]

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改訂新版 世界大百科事典 「ナショナル・ポリシー」の意味・わかりやすい解説

ナショナル・ポリシー
National Policy

1879年,カナダが採用した保護関税政策の別称。1867年のカナダ建国以来,いかなる経済政策を採用するかについて保守党と自由党が争ってきたが,〈ナショナル・ポリシー〉を掲げた保守党が78年,自由貿易主義を掲げる自由党を破って勝利を収め,決着をみた。採用の目的は財政上の欠損を埋めると同時に工業振興も目ざすことにあったが,製造工業品のみならず,農産物など一次産品の関税率も上げ,カナダ国民全般の要望にこたえようとした点に特徴がある。96年に自由党が政権をとった後も〈ナショナル・ポリシー〉は修正を重ねながらも持続され,カナダの伝統的経済政策となった。しかしその工業保護ゆえに,アメリカ合衆国の製造工業者がカナダ国内に支工場を設けて関税障壁を乗り越えようとして,かえってカナダ工業の脆弱(ぜいじやく)化を招いたとされ,最近のカナダ経済学者,経済史家には,保守党首相J.A.マクドナルドの〈先見の明のなさ〉を批判する声が高い。
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世界大百科事典(旧版)内のナショナル・ポリシーの言及

【ティリー】より

…旧約聖書から〈ドミニオン〉の語を見いだしてカナダの国名(Dominion of Canada)につけ加えたのはティリーとされる。第2次マクドナルド内閣で蔵相を務め,〈ナショナル・ポリシー〉の遂行者となった。85年健康を害して公務より引退。…

【マクドナルド】より

…カナダは建国のモットーどおり〈海から海へ〉またがる国家の版図を実現した。その内容を充実させるため,79年,〈ナショナル・ポリシー〉として保護関税を採用,自由党の批判を浴びたが自由党ものちには自党の政策として採用した。85年には紆余曲折を経て大陸横断鉄道を完成に導き,マクドナルド夫妻は開通したばかりの鉄道の旅客としてカナダの西端へ赴いた。…

※「ナショナル・ポリシー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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