中国の財閥。20世紀初期から日中戦争開始前,開港都市上海において,主として浙江出身者の同郷結合を基盤に発展した銀行,銭荘その他の実業を営む資本家,商人およびその集団を総称する。彼らは,すでに1920年代以前から北京政府や北方系のグループに対抗して上海で独自の政治活動をしていたが,1927年蔣介石による北伐および南京国民政府の成立とともに政府公債の引受けによって国民政府の経済政策,財政政策への発言力を強めた。しかし,世界不況の影響の下で,国民政府が抗日戦準備と国内軍閥の統一,勦共(そうきよう)作戦をすすめるにつれ,主導権は国民党および国民政府の中央官僚に移った。この過程は,中央銀行,中国銀行,交通銀行の増資,諸公債の統一公債への借換え,幣制改革によっていっそう進行し,37年の日中戦争開始による被害と政府の奥地移転により,財閥は事実上基盤を失った。
執筆者:川井 悟
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19世紀末から1920年代にかけて、中国最大の貿易都市の上海(シャンハイ)において中国経済を支配していた浙江省(江蘇(こうそ)省を含めることもある)出身の金融業者・実業家の集団をさす。上海は南京(ナンキン)条約(1842)で開港して以来、中国最大の貿易都市に発展、諸外国の貿易商や銀行が進出して、やがて綿工業などの製造業も増加した。そのため、中国の古くからの金融業である銭荘(せんそう)も外国銀行か民族資本の銀行の系列下に入り、浙江財閥の系列下には中国銀行など「南四行」、金城銀行など「北四行」や各種の儲備(ちょび)銀行(企業への投資を目的とする新しい銀行)などがあった。華僑(かきょう)資本が相当量入っており、とくに東南アジア華僑の杜月笙(とげつしょう)などが有名である。蒋介石(しょうかいせき)が浙江財閥を基盤として1927年以降権力を掌握すると、四大(しだい)家族に吸収され、独自の集団ではなくなった。
[加藤祐三]
日中戦争前,上海を中心として,中国の経済界を支配していた民族資本家の一団をいい,華北および広東財閥に対置される。その特徴は買辦(ばいべん)資本として発生し,民族銀行資本を根幹としている点にある。浙江財閥の中心は,「南四行」と呼ばれる著名銀行団(中国銀行,浙江実業銀行,浙江興業銀行,上海商業儲蓄銀行)とその系列下の銀行,銭荘(せんそう)と若干の産業資本である。さらに「北四行」と呼ばれる著名銀行団(金城銀行,塩業銀行,中南銀行,大陸銀行)とその連合組織,ならびに系列下の銀行,銭荘に少数の産業資本を含ませる人もある。浙江財閥は1927年の上海クーデタ以後,国民党政権と緊密に結びつき(主として政府公債の引受けによって),のちに再編成されて官僚資本に発展した。
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…しかし,このようにして蓄積された富は,金融資本や産業資本に形を変え,上海を舞台に中国の経済を動かす大きな力となった。これを浙江財閥といい,蔣介石が勢力をもったのもこれを背景にしたからであった。
[浙江文化]
このような風土をもつ浙江には,独特の芸術や思想が生まれた。…
…いずれも南京国民政府時代に,国民党および国民政府の要職につくことによって財産蓄積の基礎をつくり,日中戦争時期の統制経済の中で大財閥に発展した。南京国民政府は,成立当初,浙江財閥の支持と援助の下にあったが,世界不況と国内戦争遂行過程において,中央銀行の発展,経済建設,幣制改革,公債政策によって,逆に浙江財閥に対する主導権を確立した。この過程で,軍事委員会委員長であった蔣介石は経済の軍事化・統制化によって支配権を拡大し,宋子文,孔祥熙は財政部長・中央銀行総裁であることを利用して多数の銀行,工場,会社を支配し,陳兄弟はCC団を利用して多数の銀行,出版関係機関を支配した。…
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