日本大百科全書(ニッポニカ) 「バエズ」の意味・わかりやすい解説
バエズ
ばえず
Joan Baez
(1941― )
アメリカの女性シンガー。ニューヨークのスターテン島生まれ。1960年代初頭のフォーク・ソング・ブームを代表する。シンガーとしてのキャリアをボストンでスタートさせ、1959年のニューポート・フォーク・フェスティバルでデビュー。翌60年にはバンガード・レコードより『ジョーン・バエズ・ファースト』を発表。ビートルズをはじめとするブリティッシュ・インベージョン(イギリスのロックン・ロール・バンドのアメリカへの進出)で新しいロックン・ロール人気に火がつく64年までは、ボブ・ディランとともにアメリカのフォーク・ムーブメントの先頭に立つ。デビュー・アルバム、『ジョーン・バエズvol. 2』(1961)、『イン・コンサート』(1962)の3枚のアルバムはゴールド・ディスクに輝き、2年以上もベスト・セラー・チャートに顔を出していた。ディランはレコード・セールスはそれほどでなく、バエズのほうが一般層にアピールした。また、バエズがディランの曲を積極的に取り上げたことが、ディランの才能を世に広く知らしめたことは否定できない。
その後政治的な姿勢を強く打ち出し、『イン・コンサート・パート2』(1963)、『ジョーン・バエズ5』(1964)などを発表。アメリカの代表的なプロテスト・フォーク・シンガー、フィル・オクスPhil Ochs(1940―76)が歌ったバエズの「フォーチュン」はイギリスではヒット・チャート・トップ10入りした。
しかしビートルズの登場、ディランのエレクトリック・ギターを使ったフォーク・ロックへの移行といった時代の流れのなかで、バエズはよりポピュラーな方向へと転換を図り、『フェアウェル・アンジェリーナ』(1965)、『クリスマス・アルバム』(1966)、『ジョーン』(1967)には、ピーター・シッケルPeter Schichel(1935― )指揮のオーケストラ伴奏がつけられていた。60年代後半にはより実験的な姿勢を示し、『バプティズム』Baptism(1968)は詩の朗読がフィーチャーされた大作であった。また同年、反戦運動のリーダー、デビッド・ハリスDavid Harrisと結婚、カントリー・アンド・ウェスタンの大ファンだったハリスの影響もあり、ディランの曲をカントリー風にアレンジした2枚組の大作『ボブ・ディランを歌う』(1968)を発表、ゴールド・ディスクに輝いた。
以降、バエズはカントリー色の強いアルバムをリリースし、『デビッズ・アルバム』(1969)、『ワン・デイ・アット・ア・タイム』(1970)、そして再びゴールド・ディスクに輝くベスト・セラーの『ブレスト・アー』Blessed Are(1971)を発表する。このアルバムに収録された、ザ・バンドの「オールド・ディキシー・ダウン」のカバー曲がヒット・チャートのトップ10に入った。70年代はA&Mに移籍、サウンドはポップになったが政治的な姿勢は堅持し続け、ディランの『ローリング・サンダー・レヴュー』(1976)やディランの初の映画監督作品『レナルド・アンド・クララ』(1978)にも出演。80年代はレコード契約がなく、不遇の時代を過ごしたが、86年のチャリティー・コンサート、ファーム・エイド出演を機に、アムネスティ・インターナショナルの世界ツアーに同行するなど、その後は再び精力的に活動を続ける。
[中山義雄]