日本大百科全書(ニッポニカ) 「バクスター」の意味・わかりやすい解説
バクスター(産業用ロボット)
ばくすたー
Baxter
服属アーキテクチャーで著名な元マサチューセッツ工科大学(MIT)教授のブルックスRodney Allen Brooks(1954― )が、2012年に立ち上げたRethink Robotics(リシンク・ロボティクス)社で、最初の製品として売り出した新しい概念の産業用ロボット。ブルックスはロボット掃除機ルンバのiRobot(アイロボット)社の共同創設者でもある。
これまでのほとんどの産業用ロボットは片腕であり、作業の効率の悪さのみでなく、双腕で可能な作業が遂行できなかった。バクスターは片腕7自由度、双腕で14自由度に加え、カメラ(顔などの情報伝達モニターのヘッド部)の首振り2自由度(パン、チルト)を加えた多自由度双腕ロボットである。直列弾性アクチュエータを用いて、衝突の際に柔らかさを担保し、ロボットの標準OSであるROS(Robot Operating System)による汎用(はんよう)プログラミングを可能にしている。各種センサーを内蔵し、ボトルなどの各種製品の取り出しやパッケージング、金属部品の組立て、バリ取りなどの研磨作業支援、PCB基盤のハンドリングと検査支援、コンピュータ数値制御機械(CNC)の補助、各種製品の作動試験や検査などをはじめとするさまざまな応用を可能としている。価格が2万ドル台で、これまでの産業用ロボットに比して低価格であり、それまで導入困難であった中小・零細企業をターゲットにしているが、研究者向けの共通の道具としても利用価値が高い。なお、Rethink Robotics社は2018年10月に廃業、その後、ドイツのHAHNグループがRethink Robotics社のすべての権利を買収し、新たにドイツ法人として事業を継続している。
[浅田 稔 2020年5月19日]
バクスター(医療機器・用品メーカー)
ばくすたー
Baxter International Inc.
アメリカの医療機器・用品の世界的メーカー。血液と循環系関連の製品において世界最高水準の技術を有している。同社は1931年に静脈注射用溶液の供給会社であるドン・バクスター輸液製品株式会社Don Baxter Intravenous Product Corp.としてイリノイ州に創立された。無菌的に管理された輸液療法製品の開発、製品化を世界で初めて成功させ、今日の輸液療法の基礎をつくった。1956年には人工腎臓(血液透析装置)を商品化。プラスチック製採血バッグ、人工心臓弁など世界初の製品を多数開発し、血液中に薬剤や栄養剤を投与する輸液システムのアメリカ最大のメーカーとなった。1985年にはアメリカの医療用品最大手アメリカン・ホスピタル・サプライAmerican Hospital Supply Corp.を買収した。
事業内容は、バイオサイエンス事業、メディケーションデリバリー事業、透析製品事業の三つ(2010年時点)。バイオサイエンス事業では、血友病治療用製剤、その他の血液疾患の治療剤・用品を製造・販売。メディケーションデリバリー事業では、輸液製剤・治療用品の製造・販売、調剤関連サービス、製剤技術の提供など。透析製品事業では、腎不全治療用の連続携行式腹膜透析などの透析製品を製造・販売している。なお、輸血療法事業は2007年に投資会社テキサス・パシフィック・グループおよびマーベリック・キャピタルに売却している。2008年の売上高は123億4800万ドル、純利益20億1400万ドル。売上高構成比は、バイオサイエンス事業44%、メディケーションデリバリー事業37%、透析製品事業19%である。
[萩原伸次郎]
バクスター(James K. Baxter)
ばくすたー
James K. Baxter
(1926―1972)
ニュージーランドの詩人、劇作家。南島ダニーデンの農家の生まれ。オタゴ、ビクトリア両大学を経て、イギリスで学僕として苦学。以来1958年の日本、インド訪問のほかは、もっぱら郷土かウェリントンで暮らしたが、晩年北島ワンガヌイ河畔の先住民マオリの集落にコミュニティ「新エルサレム」を設立、落後者や麻薬中毒患者たちのために「裸足(はだし)ヒゲだらけの司祭」役をつとめた。1944年、10代で「護送団」に対しマクミラン・ブラウン文学賞が贈られ、ついで処女詩集『柵(さく)の彼方(かなた)へ』(1944)を刊行し神童といわれたが、1948年刊行の『風、豊穣(ほうじょう)の風』は、傑出した才能を確立した一編といわれる。以来最後のオックスフォード大学出版部刊の600ページを超える大冊『詩集』(1979)まで、約30巻の詩、劇、批評集を刊行。『詩選集』(1982)、『冷い春』(1996)、『バクスターの本質』(1993)は、韻文、散文選集で、没後も出版され続けた。1940年代のこの国の異才を放つ、活動的な天才作家だった。
[平松幹夫・古宇田敦子]