ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バグボ」の意味・わかりやすい解説
バグボ
Gbagbo, Laurent
コートジボアールの政治家。大統領(在任 2000~11)。ベテ人のローマカトリック教徒の家庭に生まれる。1960年代に首都アビジャンに移り,1965年高等学校リセ・クラシックを卒業,アビジャン大学で歴史を学び,1969年文学士号を取得。パリのソルボンヌ大学に進んで 1970年文学修士号を取得し,帰国後リセ・クラシックの教師となる。1971年に政府転覆を企てた罪で逮捕され,1973年まで服役した。釈放後は 1974年からアビジャン大学歴史芸術アフリカ考古学研究所の教員を務め,並行してソルボンヌ大学で博士号を取得した。1982年に野党組織を結成したあとフランスに亡命。1988年9月に帰国し,イボアール人民戦線の党首に選出された。1990年に初の複数政党制による選挙が実施されたが,フェリクス・ウフエ=ボワニ大統領率いる与党が圧勝したため,政治的な実力行使を再開,学生デモを組織したとして 1992年に再び有罪判決を受けた。1993年にウフエ=ボワニが死去,後任のアンリ・コナン・ベディエは 1999年にロベール・ゲイ将軍のクーデターで追放された。ゲイは 2000年の大統領選挙でバグボを破ったが,不正への批判から騒乱が起こり,国外へ逃亡,バグボが大統領に就任した。就任後ほどなく反対勢力が蜂起,2002年9月には全面的な内戦に発展した。2007年3月,バグボと反乱軍の指揮官ギョーム・ソロとの間で権力分担の合意が成立,ソロが首相に就任し,バグボは大統領にとどまった。2010年11月の大統領選挙の決選投票でアラサヌ・ワタラに敗北したが退陣を拒否,武力による抵抗を続け,内戦の危機を招いた。2011年4月,国際社会が支持したワタラ側に身柄を拘束された。
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