日本大百科全書(ニッポニカ) 「バルボ」の意味・わかりやすい解説
バルボ
ばるぼ
Cesare Balbo
(1789―1853)
イタリアの歴史家、政治家。サルデーニャ王国の重臣の家庭に生まれる。ナポレオン体制下のイタリアで種々の行政官を務め(1807~1814)、王政復古とともにピエモンテの軍隊に入り、自由主義的なカルロ・アルベルト公の知遇を得た。1821年のピエモンテ立憲革命に反対であったが、アルベルト公や連座した友人との関係で嫌疑を受け、10年に及ぶ謹慎生活を過ごした。この間、歴史研究と政治的思索に没頭し、『イタリア史』(1830)を著した。その後『ダンテの生涯』(1839)や『イタリア史概要』(1846)を書いたが、主著である『イタリアの希望』の発表(1844)によって穏健派の代弁者となった。この書で、ジョベルティの新(ネオ)グェルフ主義からカトリック自由主義と漸進的改良主義を受け入れ、教皇主導主義を排してピエモンテのイニシアティブによる国際関係の変化にイタリア独立の希望を託した。本書は、1831年以来ピエモンテの国王になったアルベルト公の内諾を得ていた。バルボは、1847年カブールと協力して『リソルジメント』紙をトリノで発行し、立憲運動を推進した。翌1848年アルベルト憲法発布後、最初のピエモンテ首相となり、ただちに対オーストリア戦争を宣言したが、ロンバルディアの併合問題をめぐって議会と対立し、7月に辞任。1849年以降、右派議員の長老として政治活動を続けたが、研究活動により力を注いだ。
[重岡保郎]