バレンシアガ(その他表記)Cristobal Balenciaga

改訂新版 世界大百科事典 「バレンシアガ」の意味・わかりやすい解説

バレンシアガ
Cristobal Balenciaga
生没年:1895-1972

パリのファッション・デザイナースペイン生れで,マドリードバルセロナに店をもっていたが,1936年にスペイン内乱が始まるとパリに出て,37年に店を開いた。第2次世界大戦後は,パリ・ファッション界の人気をディオールと二分した。彼のデザインは,男子服の修業をしているため,むだなディテールがなく厳格で端正な古典的フォルムをもっている。黒を好み,白と黒を対比させたそのデザインは,しばしばドラマティックと呼ばれている。ディオールとは対照的に,インタビューが嫌いで,ごく限られた人のための高級な服しかつくらなかった。またファッションの大衆化に逆らいつつ,伝統を守りつづけた。このように世間からますますひきこもっていったことが,彼に神秘的な魅力を与えた。バレンシアガのセンスを引き継ぐのは1952年に開店したジバンシーHubert de Givenchyであるといわれている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バレンシアガ」の意味・わかりやすい解説

バレンシアガ
Balenciaga, Cristóbal

[生]1895.1.21. ゲタリア
[没]1972.3.24. バレンシア
スペイン生れの服飾デザイナー。父亡き後,家計を助けるため 10歳から本格的に服飾を学ぶ。 20歳のときサンセバスチャンに最初の店を出して以来 15年にわたりスペインのファッション界をリードする。スペイン戦争の混乱を避け,1937年パリに移って世界的成功を収めた。作品は,生国の画家 D.ベラスケスを思わせる重厚な雰囲気と,構築的なシルエットを特徴とし,ドレスやスーツが得意。 40~50年代には C.ディオール,J.ファトと並びモード界の第一人者と目された。パリで約 30年間コレクションを発表し活動したが,68年に店を閉め引退した。

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百科事典マイペディア 「バレンシアガ」の意味・わかりやすい解説

バレンシアガ

スペイン生れの服飾デザイナー。裁縫師としての修業後1916年に自分の店を開き,1936年パリに移る。1950年―1960年代,すぐれた裁断技術で独創的な作品をつくったパリ・モード界の巨匠の一人。デザイン,カッティング,縫製を一人で行い,前より後ろの長いヘムラインをつくりだした。伝統的なオートクチュールのデザイナーとして,流行に影響されないエレガントでバランスのよい正統的な服をつくった。
→関連項目ウンガロ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バレンシアガ」の意味・わかりやすい解説

バレンシアガ
ばれんしあが
Christobal Balenciaga
(1895―1972)

スペイン生まれの服飾デザイナー。ポワレ、シャネルと並び称せられる、20世紀を代表するクリエーターの一人。バルセロナなどに「エイザ」EiSaという名の店をもち名声を得たが、1937年のスペイン内乱でパリに逃れた。ジョルジュ・サンク通りに開いた店は、大成功を収め、以後、スペイン的大胆さにパリの優雅さが融け込んだ格調高い作風によって、「オートクチュールの巨匠」として世界のモード界に君臨した。50年代に発表した革新的なテント・ドレス、カクーン・コートなど、完璧(かんぺき)な技術に支えられた簡潔なフォルムは、今日も多くのデザイナーに影響を及ぼしている。68年春夏のコレクションを最後に引退した。

[深井晃子]

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