パリの高級婦人衣装店、またその店でつくられる高級仕立服のこと。オートクチュール組合(通称サンジカルLa Chambre Syndicale de la Couture Parisienne)に属し、店(メゾンとよばれている)の専属デザイナーは顧客のために、シーズンに先駆けて創作デザインを発表し、売るのであり、一般の注文服店や既製服を売る店とは区別される。組合の規約により、新作の発表は年2回(1月末と7月末)行われ(パリ・オートクチュール・コレクション)、そのシーズンの作品をマヌカン(モデル)に着せて、招いた個人客やバイヤー(百貨店などの仕入れ担当者)、ジャーナリストに見せることが義務づけられている。ここから、たびたび世界的な流行が生み出された。
[深井晃子]
フランスは18世紀になると、はっきりと世界のファッションをリードしていた。その中心となったのは、ポンパドゥール侯爵夫人、マリ・アントアネット王妃ら宮廷の女性たちであり、マリ・アントアネットのお抱えデザイナー、ローズ・ベルタンは、オートクチュールの祖とされる。自分の創作デザインを客に売るという、今日のオートクチュールの基礎を築いたのは、1857年パリに自店を開いたイギリス人ウォルト(英名ワース)Charles-Frédéric Worth(1825―95)である。以後、20世紀婦人服の基礎となるデザインを創作したポワレ、ビオネ、シンプルこそシックという衣服哲学を打ち出したシャネル、スキャパレリ、ディオール、バレンシアガ、カルダンなどによって、オートクチュールが誕生したパリの精神的、物理的風土は今日まで連綿と受け継がれている。大衆消費社会が進展した1960年代以降、上流階級ではなく一般の女性がファッション・リーダーとなり、プレタポルテ(既製服)が活発化したとき、その存続を危ぶむ声も聞かれた。しかし、その世界的に高い知名度によるオートクチュールのブランドのプレタポルテ、香水をはじめとするアクセサリーの販売、ライセンス契約などで経済的安定が図られた。また、高品質性、唯一性を強調しながらも才能のある若年デザイナーを起用し、オートクチュールの新しいイメージが打ち出され、体質強化を図っている。
[深井晃子]
『深井晃子著『パリ・コレクション』(1994・講談社)』
フランスのパリで発達した,服飾品のデザインと仕立てを行う高級衣装店。デザインの独創性,高度な技術,高価さで知られる。ルイ16世の王妃マリー・アントアネットの宮廷デザイナーとして知られたローズ・ベルタンが,1773年からフランス革命時まで店を構え,貴族女性の衣服を作ったことに由来する。しかし,近代のオート・クチュールは,1858年,パリに店を開いてナポレオン3世の皇后ウジェニーのデザイナーとなったイギリス人,C.F.ワースに始まる。彼によって婦人服デザインに男が加わり,それまでの人形(ファッション・ドール)に代わって人間のファッションモデル(マヌカン)を採用し,初めてのファッションショーが催された。また,客の方から店に来て注文するという方法がとられ,西欧の上流階級の女性たちが競って顧客となった。20世紀に入ると,P.ポアレ,G.シャネル,E.スキャパレリなどが続出,映画,演劇の衣装部門でも活躍した。1911年にオート・クチュール組合が結成され,以後この組合の加盟店を指すことになる。20年代から30年代にかけて創造性,機能性,美しさにおいて優れた作品が生まれ,現代ファッションを生み出す役割を果たした。第2次大戦後,ディオールの〈ニュー・ルック〉発表を契機に,より活発になり,サン・ローラン,M.ボアンなどの新進デザイナーが活躍する。60年以後はオート・クチュールも注文服のほかにプレタポルテ(既製服)が経営の重要な部門になる。日本ではカルダンと高島屋が60年に提携して以来,パリのファッションが一般に知られるようになり,デザイナーの名前も一般化してきた。
執筆者:池田 孝江
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