翻訳|vernier
本尺の1目盛りの端数を正確に読み取るための装置で、副尺ともいう。1631年にフランスのバーニヤPierre Vernier(1580―1637)により発明されたが、その理論は、すでに1611年にドイツのクラビウスによってたてられていたといわれる。使い方は、 に示すように、まず副尺目盛りの0の左にある本尺上の最大目盛り73を読み取る。次に本尺目盛りとバーニヤ目盛りが一致しているバーニヤ目盛りの値4(8目盛り目)を読み取る。ここでは最小読み取り値を0.05ミリメートルとすると、73+0.05×8=73.4mmが最終の読み取り値となる。したがって、目盛りの読み=(本尺の読み)+(最小読み取り値)×(本尺とバーニヤ目盛りの一致したバーニヤ目盛りのゼロからの目盛り数)である。
[清水伸二]
『青木保雄著『標準機械工学講座20 精密測定1』(1968・コロナ社)』
バーニヤは本尺の対語として副尺ともいわれる。本尺の目盛をさらに細分して読取精度をよくする補助目盛である。バーニヤの目盛方法は1542年ポルトガルの数学者ノニウスPetrus Nonius(1492-1577)が発明し,これを1631年に正確に読取りのできる構造にしたのがフランスのベルニエPierre Vernier(1580-1637)である(ベルニエの英語読みはバーニアー)。もっとも一般的に使用されている普通バーニヤは本尺の(n-1)目盛をn等分したものである。図は本尺の19mmを20等分したバーニヤの例である。mm単位以下の端数は本尺目盛とバーニヤ目盛の合致した位置(×印)で読み取る。バーニヤの目盛方法はJISのノギスなどで規定している。
執筆者:横山 豊
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…〈赤い隅〉と暖炉のあいだの隅には天井の近くに板を張り出して,ポラーチpolatiと呼ばれる寝台をつくった。 北部ロシアやボルガ流域では,母屋とは別に池や小川のほとりに浴室(バーニャbanya)が建てられた。強く熱した玉石に水を注ぎ,湯気を浴びる蒸風呂である。…
…1921年に羽仁もと子が夫の吉一とともに東京都豊島区雑司ガ谷に創設した学園。羽仁は1903年に《家庭之友》(のちに《婦人之友》と改題)を創刊,主宰していたが,日本の家庭生活の近代化は教育をとおしてこそ実現できると信じて学園をつくった。…
…新聞記事を取材,執筆,編集する人。記者は日本の場合,雑誌と異なって,すべて新聞社の正社員か嘱託である。日本では,明治前期,取材にあたるのは〈探訪〉〈出省方〉などと呼ばれ,記者とは区別された。よほどの難事件でないかぎり記者自身は取材せず,探訪が提出したメモや報告を記事にしたり,英字新聞の翻訳,投書の取捨選択,論説の執筆などにあたった。記者は男性に限られ日本で女性記者の第1号となったのは,1897年に報知新聞に入社した松岡(羽仁)もと子である。…
…商業的な女性雑誌の草分けとして1910年3月に同文館から創刊された。初期には坪内逍遥や上田万年(かずとし)らが寄稿し,編集協力者としてはのちに《婦人之友》を興す羽仁吉一・もと子夫妻がいた。13年1月からは都河(つかわ)竜が雑誌を譲り受け(婦女界社発行),連載小説を重視,小栗風葉や小山内薫,さらに菊池寛などが作品を寄せ,広く迎えられた。しかし,しだいに《主婦之友》や《婦人俱楽部》におされて生彩を欠くようになった。…
…家計簿奨励,衣食住の合理化,家族関係の民主化など,家庭生活の実際的改良を提唱。羽仁もと子が21年に創立した自由学園と,30年以来の読者組織である〈友の会〉とを両輪とする支持母体をもつ点でも,他の女性雑誌に類例をみない特質を示している。【井上 輝子】。…
※「バーニヤ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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