ベルニエ(その他表記)François Bernier

改訂新版 世界大百科事典 「ベルニエ」の意味・わかりやすい解説

ベルニエ
François Bernier
生没年:1620-88

フランスの医師,旅行家。中部フランスのジュエに生まれる。パリのクレルモン校でモリエールと同級であり,モリエールの親友シャペルChapelle(詩人。1626-86)の教育にあずかった。ガッサンディ弟子となり,後に医師として彼の最期をみとることとなる。モンペリエ大学で医学を学び,1652年博士号を取得。その後しばらくしてパレスティナエジプトエチオピア歴訪,58年インドに達しムガル帝国で王の侍医として過ごし,67年帰国した。10年余の東洋滞在を4巻の《回想録Memoires》として70-71年に出版,74年には《簡約ガッサンディ哲学》を著した。サブリエ夫人のサロンの常連となり,75年ラ・フォンテーヌとここで知り合った。モリエールが《気で病む男》を,ラ・フォンテーヌが《キンキナ(キナ皮の意)頌》を書くとき情報を提供したといわれる。ベルニエは諸民族の医学的弁別,風習の描写で人類学と東洋学の道を開いたとされ,タベルニエらと18世紀に盛んになる異国旅行文学を将来した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベルニエ」の意味・わかりやすい解説

ベルニエ
Bernier, François

[生]1620.9.25/26. ジュエ
[没]1688.9.22. パリ
フランスの医師,旅行家。アンジュー地方の中産農民の家に生れ,青年時代ヨーロッパ大陸を旅行。哲学者 P.ガッサンディに学ぶ。 1652年,モンペリエ大学医学博士号取得。 56年エジプトに旅行し,57/8年から 67/8年までインドに滞在。シャー・ジャハーン帝末期の王位継承争いを見聞し,アウラングゼーブ帝の初期,その宮廷に接近。帰国後見聞録である『旅行記』 Voyages de François Bernier (4巻,1670~71) を出版。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ベルニエ」の解説

ベルニエ
François Bernier

1620~88

インドを訪れてインドの諸事情を西欧に紹介した,フランスの知識人。哲学者ガッサンディに師事。知的探求心から1656年東方への旅に出て,ムガル帝国に達し,アウラングゼーブ帝の一高官に仕えた。インド各地を旅行し,皇族,高官,都市,自然,風習,文化,宗教などをつぶさに見聞し,批判的・相対主義的な視点から,宰相コルベールらに覚書を送る。69年帰国し,翌年から『ムガル帝国誌』を刊行。その土地王有制論などは,マルクスのインド論に影響を与えた。

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世界大百科事典(旧版)内のベルニエの言及

【人種】より

…新大陸の征服者スペイン人の中には,原住民インディアンがキリスト者でないから人間ではなく自分たちの奴隷としてよいと考える人と,キリスト教をよく解するから,同じ人間であり虐待してはならないと考える人に分かれ論争が行われた。 1684年にベルニエF.Bernierは,旅行者たちの知識を総合して,ヨーロッパ人に似た人がインドまで分布していること,アフリカに黒人が住み,東部アジアにはこれらと異なる人が住んでいることを記載した。raceという語を現代的に使用した最古の例は彼の著書だとされる。…

※「ベルニエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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