イランのペルセポリスの北東約70kmにあるアケメネス朝ペルシア帝国の王都の遺跡。ギリシア名パサルガダイPasargadai。同帝国の創立者キュロス2世(在位,前559-前530)が造営した。同王はこの地に,大庭園,二つの宮殿(謁見宮殿と王の住居),1対の拝火壇,王墓,宝庫,方形建物などの石造建築を造った。これらの建築とそこに施された彫刻には,アケメネス朝が征服した先進文化(アッシリア,ウラルトゥ,メディア,バビロニア,イオニア等)が適当に摂取されている。たとえば,屋根を支える石柱はイオニア,メディアなどの建物を模範としており,また,建物の壁面にはギリシアの切石加工法を用いた切石が使用され,王墓はイオニアの石造建築を模している。一方,彫刻は壁面装飾に用いられ,アッシリア,バビロニアの浅浮彫を採用し,それにエラム王国やエジプトの図像を加味している。このように,パサルガダエに残された造形はきわめて折衷的であり(これはイラン系民族に共通する特色である),ペルセポリスで開花する新しい宮廷様式の前段階と解せよう。
執筆者:田辺 勝美
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…彼は統一的な帝国法典を編纂するよりも,エジプト人に慣習法の成文化を命じたように,諸民族の法を保障する道を選んだ。 キュロス2世はパサルガダエ,ダレイオス1世はペルセポリスに新しい王城を建設した。しかし,スーサ,エクバタナ,バビロンもまた王都として利用され,とくにスーサは事実上の首都の役割を果たした。…
※「パサルガダエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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