パピルス草から作られたパピルス紙(単にパピルスともいう)に記された文書。パピルス紙は羊皮紙,粘土板とともに古代における重要な筆記素材であった。エジプトの特産物で,本国で使用されたほか,西アジアおよび地中海沿岸各地に輸出され,かなり高価なものであったらしい。パピルス文書は風土の関係から,1752年のヘルクラネウムにおける発見などを例外とすれば,出土地もほとんどエジプトに限られている。18世紀末ころから,エジプトの農民が偶然入手したものをヨーロッパの商人が購入して本国に持ち帰るという経路で世に知られるようになり,19世紀末ころから,欧米の学者たちによる科学的な発掘が始まった。出土場所は住居址や墓内などで,ミイラの包装に用いられていたものもある。出土品はエジプトや欧米各地の博物館や大学に収められたが,また個人のコレクターの手に渡ったものも少なくなく,後者はしばしば所有者名を冠して〈ハリス・パピルス〉〈エーベルス・パピルス〉などと命名された。パピルス紙使用の上限はエジプト第1王朝(前3100年ころ),下限は10世紀ころである。これに記された言語はエジプト語(ヒエログリフ,ヒエラティック,デモティックの3書体)やコプト,ヘブライ,アラム,シリア,ペルシア,アラビア,ギリシア,ラテンなどの各語にわたっている。そして短い契約書のようなものは一片のパピルス紙に記されたが,文学作品のようなものは巻物とされた。この場合,日本の巻物のように縦書きでなく,ほとんどの言語が横書きであったので,適当な幅を1ページとして区切り,左→右あるいは右→左と書き継がれている。後代には同形のパピルス紙を重ねてとじた,今日の本の形式のものも作られた。
エジプト語文書には〈トリノ・パピルス〉(トリノ博物館所蔵)のような王名表,《ホルスとセトの争い》や《ウェンアメン旅行記》のような文学作品のほか,〈死者の書〉その他の宗教文書,医学書,書簡,各種契約書,碑銘の写しなどがあり,コプト語のものには,聖書のギリシア語からの翻訳やシェヌーテの宗教論などキリスト教文書が多い。量的に最も多いのはプトレマイオス朝時代に記されたものを中心とするギリシア語文書で,これには哲学書,史書,文学作品,法令,裁判の記録,税務関係書,結婚契約書,遺言書などが含まれ,その中にはギリシア史研究に新しい光を与えた,新発見のアリストテレスの《アテナイ人の国制》のようなものもある。コイネー(共通ギリシア語)で書かれた諸文書はヘレニズム時代史究明に不可欠な史料であり,また聖書や外典など多くのキリスト教関係書もこの中に含まれていて,聖書の文献学的研究などに重要な役割を果たしている。
→パピルス学
執筆者:加藤 一朗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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